自分の身体感覚を確認する、歩けるところに行く旅
ミュージシャンや著名人のポートレート撮影、エッセイの執筆と並行して作品を発表している大森克己さん。フリーランスとしての活動は35年。千葉県・新浦安に暮らして28年。写真を撮ること、言葉を綴ること、日々の暮らしで感じること。それらの繋がりに思いを巡らせて、見えてくるものに“耳を澄ます”。そうして、イマジネーションを膨らませて脳内で旅をすることもあれば、その時々に心の向く場所にふらりと足を延ばして旅を愉しむこともある。この2年余り、大森さんは歩いていける浦安を旅することが日課のようになっていた。
「自宅からの最寄り駅はJR京葉線の新浦安駅なのですが、大体の用事がその周辺で事足りるんです。地下鉄東西線を利用する際に浦安駅まで出ることはあっても、日常生活で抱えている用事があるから、街をゆっくり歩くということはあまりなかった。2020年の春以来、自宅で過ごす時間が圧倒的に増えたので、近所をもっと見て見るか、と散歩がてら浦安に出かけるようになって。そのときに浦安を歩くリズム感ができました。
“歩けるところにしかいかない”というのが意外と自分の身体感覚を確認できるように思っています。浦安市は狭いので、1時間くらい歩けば、東京や市川まで横断できてしまうサイズ感。だから、時間さえあれば市内をいろいろと巡ることができるんです。飛行機に乗って、海外にビューンと旅するのではなく、これだけ歩いたところにこんなものがある、という実感。いまはそういうことに興味があります」
また、浦安市は現在の形になる以前に“漁師の町”として栄えていたエリアがあるという。
山本周五郎の小説『青べか物語』の足跡を辿る
「『堀江ドック』という旧江戸川沿いの船着き場があって、自宅からそこまでが約4キロ。歩くと1時間くらいでちょうどいい散歩に。浦安側の河畔にはいくつか船宿が並んでいて、そのうちの一つ〈船宿 吉野屋〉は、作家・山本周五郎の小説『青べか物語』に出てくる〈船宿 千本〉のモデルとなった舞台。今でも現役で残っています」
物語では、貝と海苔と釣り場で知られる根戸川の下流にある漁師町・浦粕町として登場する。
「実際に山本周五郎は、ある時期にこの船宿で暮らしていたそうです。そのときの体験が元になっているようで、江戸川沿いの描写が出てきます。船宿の近くには飲み屋や小料理屋が並んでいて、若者が川で水遊びをしていたり、夫婦喧嘩をしている人がいたり。実際、当時の人々は、蒸気船を使って、日本橋の方まで移動していたらしい。自分はその時代に生きていたかった、とは思わないけれど、当時の風景を想像しながら景色を眺める時間はなかなかに味わい深いものがある。年を重ねると若い頃には興味がなかった土地の歴史に興味が出てくるところもありますし」
浦安市では、1971年の漁業権放棄を機に、産業としての漁業は終わっているが、漁師町としての名残がある。
同じ道を何度も歩く、新鮮さがある
「旅をしていると知らない道を歩く楽しさとか、ドキドキ感とかがあるけれど、同じ道を何度も歩く新鮮さもあるように思う。季節や時間帯によって見える景色がガラッと変わるから。毎日通っている道だから気づく変化もあるし、そんな小さなことに感動している自分自身が楽しいというか。
それに、浦安を旅するときは、遠くに行く旅と違って、目的に追われていない自由さがあるのがいい。観光したい、と思うと過度な期待をしてしまうけれど、自分の住んでいるところに対しては期待がない。その中で驚きがあったり、あるいは見慣れているはずのものが変に見えたり、予期しない出合いがあるのは面白いよね」
ふだん出会わない人との交流。それもまた、ひとつの旅
心持ち次第で、日常で見えるものがこんなにも変わることを大森さんのリアリティが教えてくれる。コロナ禍では、もうひとつ変化があった。
「昔は近所の店で常連になるような距離感が苦手だったのだけど、飲食店が時短営業になったときに店の人や街の人はどうしているんだろう?と気になって。気づいたらバーに立ち寄ることも多くなり、しっかり常連になっている自分がいました(笑)。この年になって、家族、友人、仕事関係の知人ではない人と交流する場所があるのは悪くないかな、と思うように」
新しい人との出会いによって見える新たな風景。それを素直に楽しむことは、“大人の嗜み”なのかもしれない。心持ちやちょっと目線を変えるだけで見えるものが変わる面白さ。どれだけ自分事として楽しめるかが、旅というファンタジーの“うま味”と言えるだろう。