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トーキョーの夜のつくり方。都築響一×テーブルビート代表・佐藤俊博

陸の孤島だった芝浦にクラブを中心とした複合“夜遊び”ビルを建て、クリエイターが集う最先端スポットに変身させたかと思えば、日本のビジネスの象徴である丸の内に女性専用スナックを開店して、ビル全体のイメージを刷新してしまう。佐藤俊博さんと都築響一さんコンビが生み出す「場」はいつも、東京の夜を軽やかに刺激してきた。そんな“夜遊び仕掛け人”の目に、今の東京の夜はどう映っているのだろう。

photo: Satoko Imazu / text: Kaz Yuzawa / edit: Akihiro Furuya

人が混じれば文化が生まれる

都築響一

僕はコロナが猛威をふるっている時期に新宿なんかをウロウロしていたけど、歌舞伎町とか全然普通にやってるわけ。そんな盛り場を見ていて感じるのはむしろ、富める若者と貧しい若者の格差が大きくなったということ。一部の富める若者はコロナだろうが何だろうが夜遊びするんだけど、一方には金がなくて夜遊びどころじゃないって子がゴロゴロしてる。

それは若者に限ったことじゃなくて、ここ10年くらいの間に、年齢問わず富める者と貧しい者の格差が広がったように感じます。たしかに夜遊びする人の絶対数は減ったかもしれないけれど、それはコロナのせいばかりじゃないと、僕は思いますね。だからコロナ禍が明けたからといって、10年前の夜の感じがすぐに戻ってくるとは、僕には思えないんです。

佐藤俊博

僕も昔に戻ることはないと思ってますよ。ただバブルの頃を思い返してみると、お札を見せびらかしていたのはバブルの恩恵に浴したほんの一部の人でしかなくて、決してみんながお金を持っているわけではなかったんですよ。それでも持たざる者でも遊べる場があったのは、今より少し社会に余裕があったのかもしれませんね。

都築

そういう場所を佐藤さんが提供していたわけですけどね。〈ツバキハウス〉の頃には文化(文化服装学院)の子とかに皿洗いさせてましたよね。

佐藤

あぁ、よく覚えてますね。彼らがお金がないって言うから、じゃあ2時間皿洗いしたらただで遊んでっていいよってね。当時のディスコは入場料があって、でも入ってしまえば店内ではフリードリンク、フリーフードだったから、晩飯も夜食も食べられて朝まで遊べましたから。

都築

だから〈ツバキ〉には、お金はないけどセンスのある子が集まるようになった。当時はバンドをやるにしてもデザイナーを目指すにしても、東京にいないとどうしようもなかった。そんな夢を抱いて東京に出てきた若者たちにとって、〈ツバキ〉はオアシスでありハレの舞台でもあったわけです。

佐藤

あの頃は、週末に地方から来る子もいましたからね。

TABLE BEET代表・佐藤俊博、編集者・都築響一
新丸ビル7階〈ニューみるく〉にて。左が佐藤さん、右が都築さん。

都築

ただよく間違われるんだけれど、芝浦の〈GOLD〉にしても恵比寿の〈Milk〉にしても、僕らは別に若い子に受けようと思ってつくってきたわけじゃないんですよ。こんな場所があったら楽しめそうだという、ジャストアイデアを形にしただけでね。

佐藤

だいたいいつも都築さんの方から、こんな場があったら楽しいと思うんだけどという話があって、それだったらこういう人がいるよと、僕が少し肉付けしたりしてね。当たり前なことですが、場をつくるのも文化を生み出すのもそこに集う人。最終的にはお客さんですが、いろいろな形で協力してくれる仲間もすごく大切です。さらにそこに鼻の利く若い子たちが集まれば客層が広がり、その遊び場の文化が生まれるというような流れ。

都築

でも、僕らの周りに集まってくる若者は、お金を持ってない子がほとんどでしたけどね(笑)。

失われた都市の優位性、
これからの夜遊びの場とは

佐藤

インターネットが日本で普及したのは、90年代半ばくらいからだったと思うんですが、それまでは海外情報といえば、それこそ都築さんが紹介してくれたニューヨークやロンドンの最新情報が頼りだったわけです。まだ海外旅行が憧れだった時代に、都築さんは独りで取材に行っては雑誌の特集を丸ごとつくってましたよね。

都築

そうでしたね。あの当時は、世界の各都市にキャラクターがあったから面白かったんです。ニューヨークのクラブがとにかくいい音でデカい音を売りにしていた一方、パリのクラブはラウンジ系に発展してるとかね。

佐藤

そういう都築さんの生の海外の情報と東京的な部分をうまく融合できたのが、89年にスタートした〈GOLD〉。
あそこでやっと東京なりのクラブ文化が芽生えたような印象があります。〈GOLD〉は当初、シド・ミードを起用しようとかいろんなアイデアがあったんだけど、都築さんの「そういうのやめて、すごい音があれば内装なんてどうでもいいから」っていうひとことで方向が決まった。

都築

資金はすべて音響システムにかけました。音がよければ人が集まるというのは、ニューヨークで実際に体験したことだったので。でも最初の3ヵ月は知り合いしか来なかった。まあ、街はバブルで浮ついてたからそのうち入るだろうと高を括(くく)ってましたけど。ただあの頃と今とで決定的に違うのは、当時は音楽にトレンドがあったこと。ニューウェーブを聴かないと流行りに遅れるとか、ハウスを聴いてないとダサい、とかね。

今はそういうトレンドがないどころか、「流行りの音楽」とか「流行のファッション」という発想自体が時代遅れになりつつある。一つのプレイリストに、エクスペリメンタルとクラシックとJ-POPがごちゃ混ぜになってる方がカッコイイ、そんな時代にクラブがどこに向かっていくのかには、興味がありますね。

佐藤

その意味では、昔のような大箱は難しいんじゃないかと思いますね。ただ今の状況を見ていると、多くの人がコロナ禍に加えて経済的な部分でもかなりな抑圧に耐えてきていると思います。ですからガス抜きの意味でも、彼らが集える遊び場はクラブに限らず必要だと思っています。

都築

お客さんを括る枠組みが失われた以上、考えすぎちゃうとダメでしょうね。こういう店をつくらなきゃみたいなコンセプトをガチガチに固めて、逆にそれに縛られるとかね。

佐藤

そうですね、大向こうを気にするだけ無駄でしょう。僕の店づくりの基本は、自分の周りの仲間たちが楽しめるという、信頼できる人たちの感覚を軸にやってきましたが、状況が不透明なときこそ、そういう手触りのある感覚が頼りになると思います。

都築

トレンドが失われたことに加えてもう一つ、音楽の聴き方が変わってきたことも忘れてはいけないと思います。僕はやはり、ほかの人と一緒に音楽を聴く楽しみまで失くしてほしくない。ライブに行かなくても気軽に音楽を楽しめるのが、ミュージックバー。ほかのお客さんのさざめきやグラスを交わす音とともに、いい音で流される音楽を聴くことの尊さは、スマホ世代の子たちにもぜひ知ってほしい。

佐藤

同感です。〈ニューみるく〉が新たにミュージックバーとしてスタートしましたが、ここのスピーカーは恵比寿の〈Milk〉の地下3階のフロアに設置していたもの。かなりいい音で音楽を楽しんでもらえます。この夏以降の話をすると、〈ニューみるく〉の次は、向島につくっている都築さんの大道芸術館ですね。この記事が載った頃にはオープンしてるはずですけど、都築さんのさまざまなコレクションを展示するミュージアムです。

東京〈ニューみるく〉入口サイン

都築

そんなスペースをやりたいという人がいて、コロナでしばらく空いていた向島の元料亭だったところが安く借りられたもので、現在、オープンに向けて作業が佳境って感じですね。

佐藤

ちょっと面白いところでは、東大の学食。これは10月に新規オープンします。地方創生のシンポジウムで知り合った東大の先生から学食のあり方について相談されて、〈MUS MUS〉のように学食を産地とつないだら面白いんじゃないかと思ってね。もちろん音楽も入れて、学生たちが集える場にできればと思っています。

実は以前、秋田のお母さんを連れて東大できりたんぽ祭りをやったことがあるんです。そのとき、学生や留学生がめっちゃ楽しそうだったし、秋田のお母さんたちの表情も生き生きとしていて、すごくいい空間になった。そのあたりにヒントがある気がしています。

佐藤さんと都築さんが仕掛けた
数々の遊び場のほんの一部

東京〈ADコロシアム〉店内

ADコロシアム/バブル前夜の1986年、赤坂アークヒルズにオープンしたフレンチベトナム・レストラン。フランス風にアレンジされたベトナム料理とコロニアル風の豪奢な内装が特徴的だった。

東京〈来夢来人〉店内

来夢来人/2007年〜現在。新丸ビル7階〈丸の内ハウス〉内にあるスナック。オープン当初は女性専用だったが、男性陣からの熱い要望で同伴可能に。ミッツ・マングローブが初代ママ。