“スーパーカー”は日本で生まれたクルマ文化
それは1972~78年、高級スポーツカーブームから生まれた言葉で(日本が発祥なのだ)、2020年の今も愛好家たちによりその文化は健在だ。スーパーカーで代表的なものはランボルギーニ・ミウラやカウンタック、フェラーリ512BBといったイタリア車が中心となる。
ブームを支えたのは当時小学生だった少年たちで、彼らは『対決!スーパーカークイズ』(テレビ番組)に釘づけとなり、スーパーカー消しゴムや食玩の先駆けでもあるスーパーカーカード収集に夢中になった。
このブームを実際に経験したGGF-T代表の赤間保さんは愛車のカウンタックをはじめ10台のスーパーカーを所有。
すべての始まりは一冊のコミックから
「それこそ、ほぼクラスの男子全員がスーパーカーの虜(とりこ)でした。はじめはマンガ『サーキットの狼』だったと思います。主人公はロータス・ヨーロッパという軽量なスポーツカーに乗り、作中には今まで目にしたことがないクルマばかり。それがまさにスーパーカーでした。
もちろん、スーパーカーショーが地元で開催されれば、多少、遠方でも足を運びました。今思い返せばスーパーカーが数台展示されているだけのイベントでしたが、夢中で写真を撮っていましたね。ブロマイドやポスターも販売されていたのですが、どのクルマも品川ナンバーだった。
なので、自分にとってスーパーカー=品川ナンバーという決まり事が生まれました(笑)。こうして子供の頃を振り返ると、当時のスーパーカーへの憧れや、いつか購入したいという思いが人生の原動力になっている。同じような人、けっこういると思います」
現在、赤間さんはスーパーカー愛が高じて、スーパーカー消しゴムを復刻(ランボルギーニ公認)。すべて実物の車両を所有しており、もちろん全車品川ナンバーだ。
一方、ブームとはほぼ無縁であったにもかかわらず、往年のスーパーカーに辿り着いたのがビンゴスポーツ(BHオークション)代表の武井真司さんだ。
世界に繋がる東京だからスーパーカーは集う
「正直、スーパーカーブームは未経験です。ただ仕事柄、新旧含めて乗っていないスーパーカーはほとんどないと思います。でも、心に残るというか手元に置いておきたいものとなると……古いものが多いかもしれませんね。現代のスーパーカーの多くはマスプロダクションです。高額で高性能ですが、それ以上のものはありません。
それこそパガーニやケーニグセグなど一部を除けば、正直どれも同じかもしれません。70年代以前のスーパーカーは手造りでした。スタイリングを決めるプレスラインは職人がハンマーを手にして叩き出しており、一つとして同じものはありません。現在のプレス機では決して出せない美しいラインがあるんです。
譬(たと)えるならば陶器や絵画といった芸術作品に近いかもしれません。そして、東京はスーパーカーの街と言っていいでしょう。大事にコレクションする方もいれば、中には普段の通勤に使う方もいます。また、東京ほどコンディションの良いクルマが揃うのも稀だと思います。当然、世界中のコレクターが注目している市場で、問い合わせも多いです」
確かに今回撮影した世界に1台のミウラSVRをはじめ、限定20台のパガーニなど、世界でもレアなスーパーカーが集うのは東京だけだろう。また、この日本発祥の文化は今なお、この街で育まれ続けている。実際、撮影中、多くのギャラリーに囲まれた。その中には驚くことにスーパーカー少年たちの姿があった。
彼らはオーナーたちのSNSを日々リサーチし、我々の撮影場所すら特定しやってきたのだ。スーパーカー文化の火は消えず、次の世代へときちんと継承され続けている。
Tokyo Super Car Snap
世界一スーパーカーの目撃情報の多い街、東京
これは誇張でもなんでもなく、東京はスーパーカーが日常に存在する世界でも屈指の街だろう。それはモナコのカジノ前はもちろん、中東のドバイにも劣らない。新旧バリエーションの豊富さ、コンディションの良さで言えば世界一と言っても過言ではないのだ。