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70年代を象徴するロック喫茶〈ブラック・ホーク〉

1970年代。渋谷の道玄坂を上った先にある百軒店はロック好きの若者たちのカルチャースポット。その中心には故・松平維秋氏がレコード係を担当するロック喫茶〈ブラック・ホーク〉があった。学生時代に足繁く店に通ったという音楽評論家・萩原健太さんの証言。

text: Izumi Karashima / edit: Kaz Yuzawa / special thanks: Tokyo Kirara Co., Ltd. Hisashi Kadono, Eisaku Ono, Kyoko Sano

渋谷に百軒店あり、百軒店にブラック・ホークあり

通ったというか、よく怒られていたというか。忘れないですよ、アメイジング・リズム・エイセスの新譜がかかったとき、あまりのカッコよさに、「おおっ!」と感嘆の声を上げたら、「お静かに」という札を見せられたことは。いまもトラウマのように残ってます(笑)。

〈ブラック・ホーク〉はジャズ喫茶〈DIG〉の流れを汲むロック喫茶。「おしゃべり禁止」だったんです。僕は高校生の終わりの頃に渋谷デビューなので、初めて行ったのは1973年。おそるおそる百軒店(ひゃっけんだな)へ行って、〈ブラック・ホーク〉をちょっと覗いて。おっかなくて中に入れなかったのを覚えてます。

入りにくいんですよ、〈ブラック・ホーク〉は。すぐそばに〈BYG〉というロック喫茶もあってそっちはおしゃべりも自由で、2階には座敷があってゴロ寝もできる。でも〈ブラック・ホーク〉は、真剣に音楽と対峙する場。独特の緊張感があったんです。

あの頃の渋谷は、〈ブラック・ホーク〉や〈BYG〉を中心に、僕らのような若者たちが蠢(うごめ)く町でした。ロック喫茶で最新のロックを聴いて、それと同じレコードを〈ヤマハ〉で探して、お腹が空いたら〈ムルギー〉のカレーか〈喜楽〉のラーメンを食べて、眠くなったら〈名曲喫茶ライオン〉でクラシックを聴きつつウトウトする。大学生になると百軒店界隈に入り浸っていましたね。

〈ブラック・ホーク〉の緊張感は、選曲を担っていたDJ・松平維秋(ただあき)さんの存在が大きかったんです。いつも帽子を被って、寡黙でクールな感じでいらっしゃって。どういう方だったのかを知るほど会話は交わしていないんですが、すっごくカッコよく新しいレコードをかけてくれる人でした。

例えば、当時はアメリカンロックが流行って、ザ・バンドやジャクソン・ブラウンなんかが僕らの周辺では人気があった。〈BYG〉ではそういうのがガンガンかかるんです。でも、〈ブラック・ホーク〉はそこからちょっと先を行って、フェアポート・コンベンションとかスティーライ・スパンといったブリティッシュトラッドをかける。そこが松平さんのセンスであり、おっかないところでね。

だからこっちも必死になるんです。聴いたことがないものがかかると、一体どんなレコードなんだと目を細めて盗み見して。マジマジとジャケットを見たりできないんです。いや、見ちゃいけないってルールはないんですよ。見てもいいんですけど、なめられちゃいけないという気持ちが客側にもあるんでね。「ふーん。ああ、それね」って態度を取りながら「なになに?」と必死に食らいつくという(笑)。

ただ、怖いとはいえ、行くと粘ってました。最新のロックが片面ずつかかるので、情報収集の場としてものすごく重要だったんです。当時の輸入盤は高価ですから学生の身分で何でもかんでもは買えない。200円のコーヒー1杯で一日中粘って聴いて、吟味に吟味を重ねて、今月の一枚を決めて買うという。

しかも、当時のロック喫茶って、我々にとってはライブハウスでもあったんです。来日公演なんてほとんどない時代ですから、生演奏を体験することはできないけれど、新しい音の息吹をレコード盤を通して、しかもそれを自分の家ではなく、知らない人たちと場を共有しながら体感する。

そういう楽しさとリスナーとしてのスキルアップの場だったと思います。あんまりしゃべると怒られるにしても、これはいい!というときは、知らない者同士でも目が合う。視線を交わしながら語り合うことで、リスナーとしてスキルアップする。なにしろ「道場」でしたから、〈ブラック・ホーク〉は(笑)。

松平さんが教えてくれた音楽鑑賞もクリエイティブ

松平さんは音楽ライターとしても優れた方でした。彼の執筆による新譜レビューやレコード紹介のコラムが載っている『ブラック・ホーク・ニュース』というフリーペーパーや、『スモール・タウン・トーク』というミニコミ冊子、いまでいうZINEを店で発行していたんです。そういう意味でも、〈ブラック・ホーク〉は音楽の紹介者、キュレーターだったと思うんです。

少し前の時代の亀渕昭信さんや糸居五郎さんたち深夜ラジオのDJもそうでしたが、そういう人たちって、僕にとっては、ロックヒーローのようなところがあって。ある意味、ミュージシャン以上の存在だったかもしれません。

例えば、〈ブラック・ホーク〉でかかる音楽で、チャートとはまったく関係ないところで大ヒットしたものがあるんです。ハース・マルチネスの『ハース・フロム・アース』とかね。大ヒットといっても日本ですから規模は小さいですが、アメリカではハースを知る人なんてほとんどいない。

でも、当時の日本のロック好きは誰もが聴いたんです。これは当時のロック喫茶文化が作り上げたヒットだったと思うし、音楽を鑑賞することもクリエイティブだ、ということを教えてもらったように思うんです。

ただそれは〈ブラック・ホーク〉だけでなく、〈BYG〉しかり。あの頃の百軒店という磁場と、ロック喫茶という日本独自のシステムが生み出した文化だと僕は思う。

あそこには、実はミュージシャンもたくさん来ていたんです。60年代にははっぴいえんど周辺の人たちが、70年代になると鈴木慶一さんや山下達郎さんなんかも集っていた。

日本独自に醸成された「かっこいいロック」を目指すミュージシャンとそういう音楽が好きなリスナーが、共犯して新しい文化を作ろうとしていた感じがするんです。そして、音楽と真剣に対峙する〈ブラック・ホーク〉の姿勢が、日本の音楽を作り出すことにつながったんじゃないかなって。