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ジョージア・オキーフの家。なぜ彼女はニューメキシコの厳しい大地を選んだのか

アメリカンモダニズムの先駆者、ジョージア・オキーフ。ニューメキシコに造った自邸は、オキーフのアートと人生観そのものだ。管理団体がブルータス「居住空間学」の意図を汲み、日本のメディアとして初めて撮影が許可された。オキーフの「終の棲家」をご覧あれ。

Photo: Yoko Takahashi / Coordination: David G. Imber / Text: Mika Yoshida / Edit: Kazumi Yamamoto

孤高の芸術家オキーフが造り上げた、美のサンクチュアリ。

サンタフェから車でおよそ1時間。海抜およそ2000mの砂漠地帯の中、赤や黄色、ピンク色をした山肌や巨大な奇岩など、北ニューメキシコ特有の地形が次々視界に飛び込んでくる。向かうのはアビキューという名の小さな村。画家ジョージア・オキーフが長年にわたり心血を注いで造り上げた、伝説の自邸がそこにある。

小高い場所に現れた正門からドライブウェイに抜けると、アドビと呼ばれる日干し煉瓦の建物が連なっている。手前の入口から足を踏み入れれば、パティオ(中庭)をアドビがぐるりと囲む。キッチンやダイニング、リビングや貯蔵庫、そして客用の寝室が3部屋。ハーブの乾燥などに使った小部屋や、「屋根のない部屋」と呼ばれるアトリウム的空間、洗濯室など計15ほどのスペースがゆるやかなロの字形に連続する。

その北側には、広いパティオを挟んでアトリエが丘の突端に乗り出すように立っていた。一歩中に入ると、大窓からダイナミックな眺望が!

丘に乗り出すように建てたアトリエ
別棟として、丘に乗り出すように建てたアトリエからはカーソン国有林、そしてチャマ川の谷の景観が大窓いっぱいに広がる。オキーフにとって砂漠のシンボルである骨、そして小石や仔牛のツノのコレクションは家のあちこちに。長い年月をかけて自然が作り上げた造形が、彼女をこよなく魅了した。これらすべてがオキーフにインスピレーションを与え、繰り返し作品の題材となる。

「空気も空も、星も風もすべてがまるで違うのです」と生前語ったこの土地の、刻々と変化する様子と一体化しながらオキーフは創作に没頭したのである。アトリエの裏には小さなバスルーム、そして2枚の大ガラス窓越しに絶景が広がる主寝室が隠れている。そう、広さ20×7.3mほどのこの別棟は、生活の場から離れ、芸術家の魂を充足させるサンクチュアリだったのだ。

ザワンと呼ばれる廊下
ザワンと呼ばれる廊下。このバンコに腰かけて撮影されることが多かった。オキーフが最も好んだ照明は裸電球。
サリータと呼ばれる部屋の黒い扉
サリータと呼ばれる部屋の、この黒い扉がオキーフにここを買わせた。扉を描いた絵は18枚にも上る。

アビキューの家を買ったのは1945年、オキーフが58歳の時のこと。写真家でアートディーラーの夫、アルフレッド・スティーグリッツによる優れたイメージ戦略と支援により、1920年代にはすでに伝説の画家としてその名を馳せていた。アメリカンモダニズムの先駆者、そして新・女性像の提唱者。名実共に成功を勝ち取っていたオキーフだが、社交の多いNYで夫と暮らしていると、芸術家に必要な孤独は得られない。

苦悩の果て、静寂と自立を求めニューメキシコへ旅に出たのが1929年。都会の喧噪やアートシーンのしがらみも、はるか彼方。バッドランドと呼ばれる悪土の特異な景観に魅了され、1940年にまずゴーストランチの名称で呼ばれる荒涼とした土地で家を購入する。

続いて花や作物が栽培できる場所を、と見つけたのが緑多いアビキューの家だ。18世紀に建てられたこの建物、最初に訪れた時は廃墟同然だったという。権利関係も煩雑で、購入は一筋縄ではいかない。しかし、ある「黒い扉」に強烈に惹かれたオキーフ、是が非でもと、長年費やして手に入れた。まさに執念だ。

玄関ホールのザワンに置かれた羊の骨
中庭と外を結ぶ、玄関ホールのザワンに置かれた羊の骨。そばの扉がオキーフの書斎である、と示す目印だ。
パティオ
パティオ。井戸の上に、生涯3度だけ制作した彫刻のうちの2体「抽象」(1982)が。セージの灌木は盆栽風に。

ちなみにプエブロ復活様式と呼ばれるこの家のスタイルは、初期スペイン系入植者のアドビの家と、プエブロ・インディアンの地域共同型住居とのミックスである。屋根の高さは部屋ごとに変わり、広さも異なるという自由さがある。

丸太の大梁と、直角に交わる細木でできた天井が特徴で、アドビの壁にうがった棚、アラセナもプエブロ復活様式に欠かせない。これにはアドビの壁がいかに厚いかを誇示する意味もある。例えばアビキューの家のリビングルームは壁の厚みが実に46~53㎝。深くうがった棚に、オキーフはレコードを収納したという。

このように土と木でできたプエブロ・インディアンの素朴な様式を生かし、オキーフの審美眼を形にしたモダンな住まいが念入りに造られていった。

オキーフにとってこの家の中で最もお気に入りのスポット
丸太の梁と、直角に交わる細木による天井はプエブロ復活様式の特徴だ。壁に造り付けたアドビの硬いベンチ、バンコも同様。右奥に見える窓際のバンコが、オキーフにとってこの家の中で最もお気に入りのスポットだった。かつては色鮮やかなアートや小物も置かれていたが、1970年代初頭から部屋全体を土の色に統一した。

もとの家は各部屋がパティオだけにつながっていたため、部屋の移動にいちいち屋外に出なければならなかったのを、部屋同士をつなぐスタイルに変える。アトリエには、思い切ってガラスの大窓を入れる。

ダイニング横の部屋には屋根の代わりにスクリーンを張り、頭上から注ぐ光と影の移ろいが楽しめる空間とした。ちなみに修復を一任されたのはマリア・シャボスというテキサス人女性。丘の別棟にアトリエを造ったのもシャボスの発想だ。

さて外に出てみると、敷地の南側に果樹園や畑が広がっている。オキーフはキャベツやトマト、トウモロコシやタマネギといった野菜や各種ハーブ類、ナシやイチジク、ブドウなどのさまざまな果物を丹精込めて育ててきた。

オーガニックのリンゴでアップルソースを作り、野菜は瓶詰や乾物などの保存食にして冬に備え、ヨーグルトも自家製。現代人が憧れる、暮らしを慈しむライフスタイルを、オキーフは半世紀以上も前に独自で実践していたとは……!

パントリー
食器・食料室の四方の壁には真っ白な棚をしつらえ、おびただしい物たちを美しく整理した。カモミールやディル、セージやタラゴンなど、オキーフが庭で摘み、乾燥させたハーブ類が今もそのままに保管されている。左上の棚にはヨーグルトメーカーも。素材の滋味を引き出す蒸し野菜主体の食生活は、蒸し器の多さからも窺える。

アビキューの家を今回案内してくれたアガピタ・ロペズは祖父の代から親子3代にわたってこの家を管理し、オキーフに仕えてきた人物だ。「とても意志が強く、またよく笑う方でしたね」と回想する。パーティこそ開かなかったが来客はたまにあった。

アレキサンダー・ジラルド、ジョニ・ミッチェル、アレン・ギンズバーグ。アンディ・ウォーホルの訪問後、キッチンに大きなサインを残しているのを発見し、清掃担当だった叔母が慌ててその「落書き」を消したというエピソードも微笑ましい。

孤高を保ちつつ、はるばる足を運んでくれる心やすい人々と穏やかに過ごした住処で、数々の傑作が生み出される。40年近くもの日々をこの終の棲家で送った後、ニューメキシコの土に還っていく。オキーフ98歳のことである。