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FC東京のユニフォームでファッション。写真家・平野太呂とスタイリスト・梶雄太による、新しいサポーターの形

FC東京といえば首都・東京をホームタウンとするJ1リーグ所属のサッカーチーム。なんとも潔い名前だが、TOKYOのチームだけにファンのサポートも独特。本誌でもお馴染みの写真家・平野太呂とスタイリスト・梶雄太が熱心なサポーターということもあって、ユニフォームをファッションに落とし込んだビジュアルを発表した。このプロジェクトに対する思いを梶の言葉で綴ってもらった。

photo: Taro Hirano / text: Yuta Kaji

写真家の平野太呂は息子がサッカー少年ということもあり、住まいから比較的近いFC東京を自然と応援するようになったという。チームのスタッフと知り合うキッカケがあり、いろんな相談を受けているうちに、今回のプロジェクトを思いついたという。

旧知のスタイリストで梶雄太は同世代。彼もサポーターであることを知り、何か自分たちらしい形でチームを応援しようと、動き出した。ファン・サポーターの老若男女が、日常生活の中でユニフォームをカッコよく着こなしてくれたら……。そんなイメージで撮影をしたという。

モデルに起用したのは、スケートキッズやクリエイター、FC東京のサポーターである市川実和子さんなど、様々だ。今やチームの新体制発表会にも登壇するほどのサポーターとなった梶 雄太が、今回の経緯について寄稿してくれた。

僕の街のユニフォーム

文・梶 雄太

FC東京。とてもシンプルな名前がかっこ良い!

東京生まれの僕には特定の思い入れのあるチームはありませんでした。巨人でもなければヤクルトでもなし。まだ昭和の時代にプロ野球は都市を代表するチームというよりは背景にある企業の色が前面に出ているというのもあったのかもしれません。

後にスタートしたJリーグ、オリジナル10といわれる10クラブには鹿島アントラーズ、横浜マリノス、浦和レッドダイヤモンズというような呼称がありました。ところが1998年に誕生した東京初のJリーグチーム名はただシンプルにFC東京。とてもスタイリッシュです。スタイリストである僕が応援しない理由がありませんよね?

今までスタイリストになったきっかけのことを何度か取材してもらったことがありました。そのたびに「両親がアパレルの仕事をしていたり、親族に編集者やカメラマンなど雑誌にかかわる仕事をしていた者が多かったことです」と、自分なりに正直にまじめにその質問に答えていた気がします。確かにそれは一つの大きな理由になるのですが……。

僕は小学校時代、サッカーをやっていました。まだ野球全盛期だったその頃にサッカーを選んだ理由はユニフォームなのかもしれません。小学校1年生から地元の野球チームに入っていたのですが、小学校3年生になって入部許可の出るサッカー部に変えたのは当時黄金時代を築いていたブラジル代表、通称カナリア軍団。鮮やかな黄色のユニフォームに緑のライン。これに絶妙なコントラストとなる差し色の真っ青なパンツ。その強豪とまったく同じカラーリングのユニフォームを身につけることができたのです。

そのままサッカーにのめりこんだ僕は『サッカーマガジン』や『サッカーダイジェスト』という当時の二大サッカー雑誌を毎月買いそろえていくのでした。そのうちに憧れて入ったはずのブラジルモデルのユニフォームだけでは物足りずに自分でユニフォームのデザインや色付けを色鉛筆でやり出しました。家に帰っても勉強すると言っては部屋でスケッチブックにユニフォームの絵型をひとりこつこつ描いていたのです。そんなある日、勝手に部屋を掃除していた母親がスケッチブックを発見してしまいました。叱られる……勉強せずにいた僕を注意するのかと思いきや、なんと母親は真逆でした。

「あなたの描いたユニフォーム、カラフルで良いわね」

もしかしたらこの一言が今のスタイリストにつながっているのかもしれません。

そして今年、FC東京の2025シーズンユニフォームをライフスタイルとして提案したイメージビジュアルを、若い頃からの友人である写真家の平野太呂君とともに取り組むことになりました。東京を楽しむそれぞれの人々の日常に、気負うことなく自然にユニフォームがありますようにと。

あの小学校の頃にこそこそと放った僕の小さなシュートは、今50歳になり、FC東京というとても大きなゴールに突き刺さったのかもしれません。

愛してる東京、眠らない街。