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木工作家・高山英樹、プレハブの骨組みをベースに自分たちの生活をつくり続ける

訪れるたびに、居心地と印象が変わる家がある。住むことは変わり続けること。絶えず進化し、重ねられていく日々の履歴が見える部屋こそ、面白い。

photo: Norio Kidera / text: Tami Okano

時間はかかる。でもできる
建てて10年、まだ途中

晴れた日には西方に、日光連山の名峰、男体山が見える。目の前に広がる田んぼは水が入れば空を映し、春には緑の、秋には黄金色の絨毯のように輝くという。木工作家の高山英樹さんが益子に住み始めたのは10年ほど前。宇都宮から通いながら土地を探し続け、2年が過ぎた頃、細い農道と畦の先に理想の場所を見つけた。

「僕にとって住まいは、まず最初にランドスケープありき、なんです。家って建物の中だけで完結するものではなく、見えている範囲、窓からの景色までを含めてあるもの。ここは里山をしょってて、周りが田んぼで、日当たりもいい。出会った時は嬉しかったなぁ」

家の建物そのものはプレハブで、と決めていた。農家の手伝いをしていた時に鉄骨製ビニールハウスの居住性の高さに感動、「プレハブの骨組みをベースにガラス面を増やしたら、ビニールハウスのような明るくて快適な家になる」と思ったのが始まりだ。確信はあった。でも参考にできるような事例はなかった。

とにかくやってみよう、と自ら描いた図面を中古プレハブ店に渡し、組み上げてもらった家は「家というより大きなテント。窓やサッシのいくつかは解体される知人の家から譲り受けたものを入れたくて、その部分はポッカリ開けたまま引き渡してもらいました。床も張ってないし内壁はコンパネのまま。その中でキャンピングセットで暮らし始めたんだよね。息子が小学1年で、家庭訪問で先生が来た時、ここですか?って唖然としてた(笑)」。

実は、敷地内の木の伐採から整地も基礎打ちもすべて自分たちで行っていて、建てる前のエピソードもたくさんあるのだけれど、とにかく、鉄骨の骨組み以外はセルフビルド。紆余曲折の家建て記のあれこれを、高山さんは惜しみなく、楽しそうに話す。床を張り、壁を塗り、自作の家具が一つずつ増え、そして息子が高校生になった今も、家づくりは続いている。

「よくそこまでやるねって言われるけど、そこまで、じゃなくてそれがやりたかった。自分たちの力で生活したいと思うからこそ、ものづくりで自活する人が多い益子という土地を選び、ここで何を生業にできるかの答えとして木工がある。生活は人それぞれオリジナル。アートとは違うけど、でも一つの表現だから、その一番オイシイところを他人に譲りたくない」

大事なことは住まいをつくること、それを含め、自分たちの人生を、自分たちのものとして生きていけること。それにね、と高山さんは続ける。「僕はすべてのことはできるって思っているんです。時間はかかるけど。家だって、同じ人間の大工がつくれるんだから、自分にもできる」。時間がかかる=難しい=できない、じゃない。

ここ数年の大きな更新は2階に棚付きの間仕切り壁をつくったこと。この春はいよいよ外壁に取りかかり、玄関に庇を設置する。

木工作家・高山英樹の自宅 外観
プレハブ2階建ての高山邸。目の前の田んぼビューを最大限楽しむため、南東面は構造上可能な限り窓にした。周辺は器の町としての益子とはまた違うのどかな田園風景が広がる。