ケーキを食べて、ひとときの幸せを
東京タワーの建設が進んでいた頃の子供たちは、東郷青児や鈴木信太郎の絵の付いた、老舗洋菓子店の包装紙を見ただけで、快哉を叫んだものだ。やったぁ、今日のおやつはケーキだ。シュークリームかな、モンブランかな。ワクワクドキドキしたものだ。コンビニもファミレスもない時代、ケーキは子供たちの夢の食べ物だった。
友達の家でショートケーキを振る舞われ、初めてのおいしさに夢中になって皿まで舐めた話を、あるパティシエから聞いたことがある。そして、それが菓子の道に進むきっかけになった、と。〈オーボンヴュータン〉河田勝彦シェフの場合もそうだ。小学生の頃、バラの花の付いたクリスマスケーキのまばゆさ、旨さに感動。当然、皿も舐めた。そして、菓子職人を目指すことになる。
時は過ぎ、フランス帰りの職人たちが開いた、おしゃれな洋菓子店があの街この街にできてくると、そのシャープでカッコいいスタイルに心が躍った。店に行くことがステータスになり、最先端のケーキを食べることが自慢になった。洋菓子店という呼び方は旧世代のものとなり、いつの頃からか、「パティスリー」と呼ばれるようになっていた。
菓子職人も「パティシエ」という洗練された呼び名に変わっていく。店先に並ぶケーキには、すぐには頭に入らない難しい名前がつけられ、幾層にも味を重ね、フレーバーを組み合わせた複雑な構造で客をうならせた。
小さくて丸いケーキが生み出す世界は、さしずめ食べるアートだった。ツンと澄ましたスタイルもまたよかった。お値段もそれなりで、もはや、子供のおやつからは縁遠い存在になっていた。革新はとどまるところを知らず、食べ手の心に斬り込んでくるような強いインパクトで、大の大人がうっとりするような贅沢な味わいへと進化していく。
そして今。
誰もがどこかに小さな不安を抱える時代になった。言葉にならない、言い知れぬ不安。必要なのは安らぎである。ひとときでいい、ホッとしたい、笑顔になりたい。甘美なケーキの世界に浸れば、何とも言えない安心感に肩の力が抜け、ふうっと楽になるはずだ。
時折、子供の頃に食べた素朴な味、例えば、ショートケーキやチーズケーキが懐かしくなる。どんなに時代が変わっても、変わることのないあったかい味。一口食べれば、瞬時に古き良き「あの頃」の自分に戻れるものだ。先に挙げた定番ケーキ店6軒は、何十年もの時を経ても、今なお変わらぬ味を守る店ばかり。味わっていくうち、気づけば、幼い頃の記憶の断片が、甘酸っぱい思い出とともに手繰り寄せられ、心の片隅に追いやっていたやさしい気持ちを取り戻せる。
〈近江屋洋菓子店〉のミッドセンチュリーモダンな店内は、その空間に身を置くだけでホッとする。これはもう、理屈じゃない。おじいさんの古時計ではないけれど、ずっと長い間、そのままあったことに感謝せずにはいられない。
かつて、西銀座と呼ばれていた時代にできた〈ウエスト〉のコージーな空間も同様だ。壁の棚にぎっしり詰まったSP盤がその歴史を物語る。クラシック喫茶でもあった当時の名残は、卓上に置かれる1週間分の演奏プログラムだ。白いカバーの掛かった椅子に座り、流れる音楽とともに楽しむシュークリームは、尖ったところがない、まぁるい味だ。
〈西洋菓子しろたえ〉の店主・川越盛一郎シェフは、ひたすら作ることに邁進し、決して表に出ることのない職人気質。いい素材を用い、一つ一つ丁寧に、生命を吹き込むように拵える。心・魂がこもっているからこそ、作り手の思いが伝わり、世代を超えて長く愛される味になるのだろう。いつ食べてもおいしいって幸せなことだ。
こうした定番の店を懐かしむのは、中年以降の人たちばかりではない。「戦後」を知らない若者の中にも、なぜか懐かしい気分になる人が多いのだ。
〈近江屋洋菓子店〉の苺サンドショート
イチゴ、スポンジ、生クリーム、
シンプルの極みともいえる構成
ショートケーキはイチゴが命。〈近江屋洋菓子店〉では、寿司屋が築地通いをするように、毎朝6時半、社長自ら大田市場にフルーツを仕入れに行く。果物屋でもあるまいに。ケーキ屋ではほとんどしていないことだ。だから、イチゴの質と鮮度はどこにも負けない自負がある。
コシのあるスポンジに軽やかクリーム、フレッシュな丸ごとイチゴが織りなすショートサンドは、むくつけき男も思わずニッコリ、童心に帰る。一口食べただけで、幸せがやってくる。
〈銀座ウエスト〉のシュークリーム
ぽってりと入ったクリームの
素直で真っすぐな味がまぶしい
シュークリームの皮が、パリッと固く、自己主張するようになったのはいつの頃からだろう。〈ウエスト〉のそれは、カスタードに寄り添うやさしい食感だ。甘さ控えめのぷるっとしたクリームがはちきれんばかりに入っているうえ、少し大きめだから、ずっしり重い。これでも一時より小さくしたという。
クリームには牛乳ではなくエバミルクを用い、濃厚ながらさっぱりと仕上げてある。素材の味そのまま、リキュールもほとんど加えず、日本ならではの「洋菓子」の域を守る。
〈西洋菓子しろたえ〉のレアチーズケーキ
美しい、ただ美しいこの姿
味もまた、清く正しく美しい
清楚な女子学生のイメージ。口に含むと、濃厚なチーズクリームが広がる。でも、後口は至って爽やか。下に敷いたカリッと焼き上げたビスケットと好対照。うーむ、中身はオトナだ。開店当初から変わらぬ人気を誇るチーズケーキは、今日もエレガントにショーケースを飾る。
良い素材を用い、手間をかけて丁寧に作り上げる。当たり前のことを当たり前にやる。そうしてこそ、内面からおいしさがにじみ出る。赤坂に店を開いて35年、変わらぬ店主の信念だ。
日本もパリも注目。温故知新こそ新しい
「伝統こそ新しい」。〈オーボンヴュータン〉河田シェフの言葉である。
ここ数年、パリではパティスリーのニューオープン続々。例えば、〈セバスチャン・ゴダール〉ジョゼフィン・ベーカリー〉。どちらのシェフも、革新的なアイデアで、最先端を切り拓いてきた人物だ。
その彼らが今目指すのは「オヤジの時代に作られていた地方菓子」だったり、「ホッと和む味」だったり。伝統への憧憬である。これ、実は日本の最先端を行く若手パティシエたちの心底にも流れる思いだ。コンテンポラリーな進化が進む一方で、伝統菓子を見直そう。そんな動きが盛んだ。
〈ジョゼフィン・ベーカリー〉のシェフが、「ヨーロッパは経済危機に陥って、いい時代じゃないだろう。不安な時代なんだ。そんな時には、どうやって食べたらいいのか迷うような、モードなものではなく、シンプルで、職人の手の温もりが感じられるようなお菓子が求められていると思うんだ」と言えば、〈セバスチャン・ゴダール〉のシェフがこう続ける。
「ベーシックなものを無視して、自分の創作に走る人が多いのを残念に思っている。創作の横には、常に伝統がなくては、温故知新でなくてはならない。僕はおじいちゃんやおばあちゃんも喜んでくれる、昔ながらのスタイルでいく」。気取らない飾らない菓子が並ぶ店。昔はどこの街角にもあった、ただの菓子屋。そんな店にしたいと言う。
奇(く)しくも、日本とパリ、作り手、食べ手とも、伝統に惹かれる人が多いことがわかる。そういう時代なんだなぁ。
日本でもパリでも、「夢は?」と若いシェフに尋ねた時、多くの人が口にしたのが、「おいしいケーキで幸せを与えたい」という言葉だった。誰もが、未来の「定番」、新しい「伝統」を目指して奮闘中だ。まだまだウォッチ、続けますよ。
〈自由が丘モンブラン〉のモンブラン
日本人の知恵に感服。よくぞ、
作ってくれました、と言いたい
山頂にはメレンゲの万年雪。麓はふわふわのスポンジ。中には栗の甘露煮が丸ごと1個とカスタード。麓のぐるりには1周だけ細くバタークリームのラインが引かれ、飽きのこない工夫が隅々にまで行き届く。麓から立ち上がるのは生クリームの山、山肌を彩るのは栗クリームだ。
「小田巻」という和菓子用の筒状容器に、オリジナルの穴を開けて絞り出す。ふんわり空気を含んで口当たりがいいのは、そのおかげだ。おいしさの詰まった白い山、縦走?それとも垂直に挑む?
〈成城アルプス〉のモカロール
バタークリームの旨さ際立つ
ロール。素朴と洗練が同居する
「子供の頃、1本食べて親に叱られたことがあります」。店主が笑う。モカロールが大好きだった。だから、父の後を継いだ時に、もう1種類あったチョコロールをやめて、モカロールだけにスポットを当てた。ロールケーキがブームになる随分前のことだ。
ふんわりではない、どちらかというとしっかりめの薄いモカ生地で、コーヒー・バタークリームを巻き込んである。巷では、生クリームたっぷりの一重巻きが大人気だが、このモカのくるくる巻いた充実感が心を満たす。
※2024年現在は別店舗で購入可能〈マキシム・ド・パリ〉のミルフィーユ
品格の高さ、豪華さ、艶やかさ
お菓子の女王さまと呼びたい
フランスがまだまだ遠い異国だった時代、銀座・ソニービルの地下に出現した〈マキシム〉は、夢に見たパリそのものだった。中でも、ぱぁっと花が咲いたように華麗で堂々たる姿のミルフィーユは、まさにパリの味。
べルエポックな雰囲気の店内で食べるケーキって、こんなに美しくなまめかしく耽美なものだったとは。越えてはならない一線を越えてしまったようで、身も心もとろけそうだった。おいしい……。私にとっては、今もって憧れのお姉様的存在である。