延々と続く大地が、
ビビッドな変化を見せた。
西オーストラリアの州都・パースから、1982年製8人乗りの小型セスナに乗り込み、インド洋に接するコーストラインを北上する。左手には、海底の地形さえ見通すことのできる透き通った、まさしくアクアブルーの海。
右手は、パースのビル群から住宅街へ変わり、郊外に至ると緑がまばらになって、黄と赤を混ぜたような褐色の大地が延々と広がっていく。海と大地をつなぐように白いビーチラインが続き、海岸の地形に変化が起きると、そこに溜まるように船舶が停泊し、近くに家や工場などの人工物が再び現れる。
それらの街から、東へと向かう未舗装の道路が時折見えるが、まるで消失点を示すように、道は地平線にまで延々と真っすぐ伸びている。
およそ500㎞を飛行したところで、パイロットからヘビーデューティなヘッドホンにアナウンスが入る。「そろそろ、ピンク・レイクだ」視線を上げて目をこらすと、海岸線沿いに湖が見えた。湖へと近づくほどにピンクは濃さを増し、真上の空から眺めると絵の具で塗ったような、濃いピンクが大地の一角を染めていた。
ピンク・レイクは、塩分を好むバクテリアや藻類が、強い太陽光から身を守るために色素を作り出し、塩湖をピンク色に染め上げたもの。
その色素はβカロチンと同じ成分のために、食紅やサプリメントなどにも利用されているという。乾いた部分には塩が白く浮き出し、それによって生まれるピンクの濃淡が、まるで血脈のように湖を走っている。
海の青、ビーチの白とわずかな低木の緑、そして鮮やかなピンクがグラデーションとなって眼下に広がっている。西オーストラリアの色彩は、強烈にビビッドだった。
国立公園を守る、
アボリジナルのレンジャー。
ただ土地をならして固めただけ、といった趣の小さな空港に着陸し、カルバリー国立公園へと向かう。
およそ1830㎢にも及ぶ広大な国立公園は、たった4人のパークレンジャーによって管理されているという。そのうちの2人、ラッセルとスティーヴンに話を聞くことができた。
オーストラリアのブッシュと聞くと昨年の大規模な火災を思い浮かべてしまうが、幸いなことに西オーストラリアではそれほどの被害はなかったという。ラッセルは言う。
「山火事は恐ろしいものだけれど、山火事が起こらないと、世代交代が起こらないのもまた事実なんだ。バンクシアのように、火事が芽吹きの条件である植物種もあるから。我々は人為的にコントロールした火事を起こすこともある。でも、それよりも自然に最も大きなインパクトを与えるのは人間なんだ。人間が踏み入るだけで環境は変わってしまう。我々は生態系を守るために、微生物にまで気を配る必要がある」
薄い岩盤層が積み重なってできた不思議なランドスケープは、内陸から流れてくるマーチソン川の浸食によって形作られてきた。
数日前に内陸でストームがあったために、大地を削ってきたのか、その日の川は水量も多く、茶色く濁っていた。車を止めたポイントから10分ほど柵のない崖沿いを歩いていくと、ネイチャーズ・ウィンドウと呼ばれるアーチ状の奇岩がある。
脆い石灰岩の層が風の侵食によって削られ、自然と作られた「窓」からは、渓谷の奥にまで延々と続く大地が見渡せる。川沿い、つまり水が供給される渓谷沿いには植物が生え、そこから離れるほどに緑がまばらになる。マーチソン川は、そうやって緑を育みながら、約800㎞もの距離を蛇行して、インド洋に注いでいる。
セスナに乗って空から見た海岸線も内陸部と同じように、波と風によって削られて、独特の風景を作り出していた。変化の起こる場所には、必ずと言っていいほど水があり、風があった。
古来、カルバリー国立公園のエリアは、先住民族アボリジナルの「NHUNDA」、あるいは「NANDA」と呼ばれる部族に深い関わりのある土地だった。若いパークレンジャーのスティーヴンは、その部族の末裔にあたる。
自然環境を守るのと同時に、「このエリアがいかにアボリジナルにとって、文化的にも大切な土地なのか、私は伝える役目を担っている」と言った。ここには、「NHUNDA」の人々にとっての神聖な場所や洞窟画などの遺産が点在し、未調査のものも多いという。
人は大地の変化に惹きつけられる。西オーストラリアにおいて、パースからできる限りの移動をしてみると、壮大なスケールで広がる大地の営みに身を浸す一日となる。