ハイウェイ1を下る、ビッグ・サーを再訪するために。
ビッグ・サーのことを一番最初に知ったのはいつだっただろう?
『路上』を書いたジャック・ケルアックを読んだ時か、それともインドでアメリカ人の老ヒッピーから聞いたのが先だったか。90年代にはまだ60年代から70年代初頭をヒッピーとして暮らした人たちが世界各地にいて、いろんな昔話を聞けたものだった。
そんな中にジャック・ケルアックの追悼式に出た人がいて、それがビッグ・サーであったということを聞いたことだけは鮮明に覚えている。文豪のヘンリー・ミラーが住んだだけでなく、ビートニクたちの聖地であり、ヒッピーたちにとっても特別な場所だったと。
20代前半だったか、僕はサンフランシスコで新聞広告から見つけた古いフォルクスワーゲンのバンを450ドルで買い、旅をしたことがある。
真ん中の席を取っ払い、中で寝られるようにして、ロサンゼルスまで南下しようと繰り出した。最初の目的地はもちろんビッグ・サーだった。
サンフランシスコを抜け、海岸線を走る。〈ハイウェイ1〉と呼ばれるカリフォルニア州で最も長いハイウェイは崖の上の曲がりくねった道を行く。いろんな道を走ったけれど、一番好きな景色の道の一つかもしれない。
その頃は知らなかったけれど、アメリカ人にとってもこの道こそ、最も美しい景色の道として有名なのだ。僕らはクルマの床に寝ころびながら、太鼓を叩き、ギターを弾いて歌いながら走る。
海岸線の美しさや、緑がなびく牧草地帯の上を流れるいい匂いのする風を開け放たれた車窓から感じて、あたりの景色に釘付けになっていた。そしてその時の記憶が今もずっと残っている。
何か特別なことをしたわけではないのに。それは一体なんなのか?
40歳を過ぎてその理由を知るためにかの地に戻るのも悪くない。サンフランシスコからクルマで再訪する旅に出た。
ビッグ・サーにはその名の通りの街があるわけではない。ハイウェイ沿いにポツンと立つ看板から森を越え、隣の海岸線までの約1時間ほど走る間がビッグ・サー。
それは湘南とかの呼び名に近いのかもしれない。古くからあるキャビン形式の宿やモーテルがあるが、僕が最初に訪れた時はほぼ何もなかったように記憶している。
出発地であるサンフランシスコは2000年代になり随分と変わった。変わったというよりもはや別の街になったといった方がいいかもしれない。建物や町並みはそのままでも中身がすっかり入れ替わってしまった。
IT産業の発達と、そこで生み出される巨額の金は、街の住人をすっかり別ものにしてしまうほど強烈なものだった。古い住人も、馴染みの店も何もかもほぼ消えてしまった。
新しい知り合いたちはみなシリコンバレーで働く裕福な人ばかりだ。けれども不思議なことにそんな彼らの間でもビッグ・サーは特別な場所と認知されている。
観光客が押し寄せようとも、不便な環境と、これ以上の開発を許さないという地元のコミュニティのローカルたちが、クルマでサンフランシスコのダウンタウンから3時間で訪れることのできるこの地をサンクチュアリとして守っている。
ビッグ・サーへと誘う圧巻のコースタルロード。
20年ぶりに走る〈ハイウェイ1〉。カリフォルニアの海岸沿いを走るこの道は本当に美しい。
霞みがかった水平線近くの空の青さも、丘陵地帯にゆっくりとその影を落とす雲も、時に上下にうねりながら、蛇行を繰り返し、果てしなく続く目前の道も。ただ切り崩されただけの崖を道は突っ切り、時には無人の小さな砂浜が道路脇に姿を現す。
自然そのままの環境を生かした道こそ、ビッグ・サーに訪れるものたちにとっての一番の目玉だとたくさんのローカルが言っていたが、確かにそうかもしれない。
飛行機でもなく、電車でもなく、好きな音楽とともに自分たちのスピードで走るクルマで向かうもののみに与えられる幸福。
“Big Sur”と記した小さな表示板を過ぎ、ジャック・ケルアックが執筆のために数週間ったというファーレンゲッティの所有する小屋がその下にあるという大きな陸橋を渡ったあたりから、景観は大きく変わり、森があたりを包み込む。そこから漂うビッグ・サーの匂いはなんといえばいいのだろう?
自然のいろんな要素が混じり合った濃厚な匂いがする。それは樹齢を何百年重ねたコースタルレッドウッドとして知られるアメリカ杉や、草原の匂い、湿った腐葉土の匂い、流れ込むかすかな海水、それらが一緒くたになって、鼻腔から流れ込んでくる。それはやがて頭の奥底にある、遠い記憶が仕舞われた場所を刺激する。