子供時代の蝋遊びにヒントを得て、サンプルが生まれた
諸説あるが、リアルな食品サンプルの元祖は、90年の歴史を誇る大阪市の「株式会社 岩崎」だろう。昭和7年に創業者の岩崎瀧三が事業化し、現在のリアルな食品サンプルの礎を築いたといわれる。それまでは食品模型、料理模型というものが存在したものの、食欲をそそるようなものではなかったという。子供の頃に蝋の特性を生かして精度の高いサンプルを作ることを思いついたとか。
大正末期頃から、食品模型、料理模型というものが存在し、それを見た瀧三は、材料が蝋であることを知り、料理模型の試作に取り掛かかった。試行錯誤を繰り返し、これまでに出回っている料理模型などと、比べものにならないほどの出来栄えの料理模型を製作した。ちなみにサンプルの第1号として試作したものは、オムレツだったそう。
昭和初期の日本では百貨店の食堂などが大流行り。多くのお客様を捌くために、食品サンプルが導入され、その後、食品サンプルは日本全国に広がり、各地を駆けずり回った食品サンプルの営業マンは、結果として東京で流行するメニューの伝道師という役割を担っていったという。1970年代後半からは、素材が蝋から樹脂に代わり、熱にも強く変形しづらいものになった。シリコンで取られた型は、よりサンプルの精度を上げ、表現の幅を広げた。
技術の進歩から、自由な表現が生まれる
この頃から食品サンプルには動きが出てくる。注目すべきは、1972年に愛知県の職人、竹内繁春(社外)がスパゲッティをフォークに絡めて宙に浮かせたこと。これで自由な表現を得た職人たちは、さまざまな工夫を始める。断面を見せるようなサンプルを作るなど、ただのコピーではなく、非現実的な表現も織り交ぜながら消費者に“情報”を伝える大切な手段となった。
そもそも食品サンプルというものは、いろんな店の料理に合わせたオーダーメイドであり、色や盛り付け、大きさなども忠実に表現することが求められる。技術が進歩すると、料理そのものを本物そっくりに仕上げるだけでは、店も職人も物足りなくなってきた。何より大事なのは、“食欲を喚起させるもの”としての表現力。ライティングを計算して、料理の照り、シズル感まで、場合によっては“本物よりおいしそうに”表現することで、単なる見本ではなく、販売促進ツールとして飲食店の売り上げに大いに貢献しているのだ。
サンプル製作の技術で、食品以外の分野に進出
いま、食品サンプルの技術は広がりを見せている。例えば、製薬会社が錠剤の品質チェックにサンプルを使ったり、違法薬物取り締まりのサンプルに使われたり。その他にも、博物館をはじめとする教育、農業の分野などでも活用されている。若い職人も育ってきており、今後の広がりがますます楽しみだ。