4社8線の鉄道路線の乗り入れ。1日の乗降客数約330万人。渋谷駅には、平日・休日問わず多くの人が行き交う。渋谷駅の歴史の始まりは1885年。東京都の中心地である皇居周辺から遠く離れた立地で、野原の中にポツンと駅舎ができる。開業日の利用者数は、なんと0人。それから130年以上の時が流れ、見ての通り、劇的な都市化と発展を遂げてきた。今では、日本で3番目に大きなターミナル駅となっている。
多くの人が、暮らし、働き、まるで街自体が巨大な〝エンタメ装置〞であるかのように、衣食住に関わるカルチャーが次々に生まれている。駅周辺のあちらこちらで同時多発的に生まれた、クラブやレコードバーなどの音楽文化もそのひとつ。渋谷公会堂(現・LINE CUBE SHIBUYA)や渋谷区文化総合センター大和田にある、さくらホール・伝承ホールといった渋谷カルチャーを発信する拠点となったホールの存在もこの地域を語るうえで欠かせない。
過去から未来へと、芸術や文化を継承し、発展させていくDNAが、渋谷駅周辺には脈々と受け継がれている。
世代を超えて、自分好みの名盤に出合える街
渋谷百軒店商店会
向かい合うミュージックバーがつなぐ
百軒店の魅力
渋谷駅から道玄坂を上がった中腹にあるアーケードが街の入口。大正時代は花街として栄え、時代の変遷と共に、映画館、ビリヤード場が建つなど、街が変化し続けてきた。その地で、50年以上、ロック喫茶「B.Y.G」を営む安本隼三さんが、百軒店商店会の現・会長を務める。「昔から、多様性に対して寛容な街でした。ただ、チェーン店やデベロッパーには迎合せず、文化を残してきたからこそ、今の街の姿があります」
個店が軒を連ね、音楽に浸れる夜を提供してくれる百軒店。そんな街の風土に惚れ込み、今井洋さんはこの地にやってきた。「渋谷の音楽文化を長年発信する『B.Y.G』の向かいで、自分の好きな音楽とお酒を提供できるのはうれしさと同時に緊張感があります。ただ、安本さんの懐の深さがあるからのびのび街づくりに参加できる。世代も国境も超ええた百軒店カルチャーの立役者なんです」
老舗から新店まで団結して開催される「しぶや百軒店はしご酒」のチケットは毎回完売。その発起人である安本さんの胸には熱い思いがある。
「僕は今年で77歳。しんどいときもあるけど、自分のためだけに生きるのはつまらない。人を育てないと、街の賑わいも何でも一代で終わってしまい後に残される人は困るでしょ。今井くんのような若い世代にバトンをつないでいきたいんですよ」
まもなく100周年を迎える百軒店商店会。音楽の名盤のように、時代を超えて、人の胸を震わせる場所となっていく。
伝統文化を未来につなぐ、伝承ホール
金王丸と伝承ホール
新しくて楽しい、創作カブキ踊り
「伝承ホール」は、伝統文化を後世に受け継ぐ渋谷の拠点。名物となる舞台が、2010年から上演される「渋谷金王丸伝説」だ。「渋谷金王丸はこの街と縁の深いヒーローなんです。源義朝の家来で渋谷を開墾したと言われる人。ただ、諸説あり、詳しい功績は分かっておりません。その未知なところにロマンを感じ、歌舞伎役者の松本幸四郎さんと共に新作『渋谷金王丸伝説』を創りました」と鈴木英一さんは話す。
子どもから大人まで、渋谷区民も舞台に参加して公演されるのが、この演目の特徴でもある。「公演のフィナーレでは『渋谷カブキ音頭』を渋谷区に住む老若男女の方々と共に踊るんです。舞台に向けて練習した成果がかたちになった瞬間は感慨深いものがあります」と幸四郎さんは毎年感じるそう。歌舞伎俳優と区民が一緒に踊る夢のような仕掛けこそが、歌舞伎本来の姿と2人は声を揃える。
「伝統芸能と言われますが、すべては先人たちが時代の最先端を取り入れてきた結果なんです。だから我々が挑戦する舞台が、今は型破りでも、それが型になり、後世に“古典”と言われる日がくればいいと思うんです」という鈴木さんに続けて、幸四郎さんはこう話す。
「理屈や常識を超えて体感できるのも歌舞伎(傾奇)の魅力。伝承ホールという場所がきっかけで、歌舞伎の新たな魅力が広がり、次の時代に受け継がれる“新たな古典”をこの地で築きたい」
カブキ史の新たな1ページが伝承ホールで味わえる。