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独立研究者・森田真生が選ぶ、数学の見方を変えてくれる本3選

研究者が見ている数の世界とは、いったいどんな景色なのだろうか。壁を一歩越えると、そこには見たことのない概念が広がっている。数学が苦手という人は少なくないが、森田真生さんの『数学する身体』を読むと、数に親しみ、苦手だった数学や数学に情熱を注いだ学者たちの声に耳を傾けてみたくなる。森田さんに、数学の魅力を教わった。
初出:BRUTUS No.884『危険な読書』(2018年12月15日号)

photo: Chihiro Oshima / text: Keiko Kamijo

数学を通して世界を見る
面白さを教えてください

数学って、危険な学問だと思うんです。数学的な思考というのは、前提の部分で非現実性が入ってくる。不合理な設定を置くことで、初めて厳密な思考が成り立つからです。例えば、幾何学の場合だと、幅のない線が登場します。この時点で非現実的なんですが、そのありもしない不合理を受け入れないと、線と線がただ1点で交わるとはいえません。

なぜ皆さんが数学を嫌いになるのか。小学校の算数の時間に「5+7は?」と聞かれて「お腹が空いた」と答えたら怒られますよね?それは、とても人間らしい反応だともいえます。機械の特徴は、与えられた刺激に完全に支配されていること。人間は与えられた刺激に対し、違う反応をする自由を持っています。

でも私たちは、算数の時間に同じ質問が来たら「12」としか答えないように訓練されている。そうやってルールで縛ることによって、はじめて正しい計算が成り立つ。それだけを聞くと数学が嫌いになるのも無理はありません。

でも、規則で縛ることで、さらなる自由が獲得できるならどうでしょう。例えば、自由に散歩してと言われても人はつい同じルートを辿ってしまいがちですが、赤い服を着た人を見たら右に曲がるという謎のルールで縛ることで、新しい場所に辿り着く。

つまり、第1ステップでは機械の模倣をし不合理なルールに従うことで、無意味を恐れずにたくましく進む。すると、第2ステップで自分では想像できない自由な世界へ辿り着き、新たな概念を獲得する。そうやって数学は、意味の地平を切り拓(ひら)いてきました。

独立研究者・森田真生

網でできている世界を、
樹の思考で遊ぶ

数学の始まりについて考えてみたいと思います。宮沢賢治の短編小説『インドラの網』を知っていますか?インドラというのは、古代インドなどで信仰されていた神。その宮殿は網で覆われていて、結節点にそれぞれ宝石が付いており、互いに映し合って無限に輝く。

これは、世界は始まりも終わりもなく互いに影響し合い、響き合っているという比喩でもあります。空海は「重々帝網名即身」と、成仏することは網と一体化して生きることだと言っています。

その「網」をカットしたらどうなるか。どこか一点を頂点とした「樹」の構造が見えてきます。始まりを決めてしまえば、原因と結果が生まれ、論理が生まれてくる。古代ギリシャのピタゴラス学派には、「世界はロゴスで統べられている」という考えがありました。

ロゴスには「比」という意味があります。物事を単位に対して相対的に見るのが比です。つまり、網全体を相手にする代わりに、ちぎった樹として緻密に考えていく。そこから数学は始まる。

ヨーロッパのような多様な民族がいる土地では、自分の考えと相手との差異を明確にして対話する「樹」の思考法が有効だった。一方、日本のような比較的閉じた土地では、「網」と調和していく思考が有効な場面も多かったでしょう。

ルールで縛ることによって厳密な思考ができる「樹」の世界は、突き詰めすぎると樹が世界のすべてだと勘違いし人間が機械化してしまう。そんな危険性を孕んでいます。私は、世界は常に移り変わる「網」であることを踏まえたうえで、緻密な「樹」の世界で遊ぶ。それが、数学の一番の楽しみなのだと考えています。

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