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縄文の謎をめぐる旅で、グラフィックデザイナー・佐藤卓が感じたこと

佐藤卓さん、縄文デザインの謎は解けましたか?

photo: Keisuke Fukamizu / edit&text: Masae Wako

縄文のデザインには未来を拓くヒントがありました

謎が謎を呼び、想像力を刺激する。旅を終えた今、自由でグルーヴィで力強い縄文の魅力から、抜け出せないままでいます。

何しろドギモを抜かれたのは3Dの造形力。縄文に出会うまでの私は、日本人が得意なのは平面のデザインで、3Dの造形は苦手だと思っていたのです。ところが縄文土器や土偶の、まるでコンピューターで作ったような3次曲面やぐねぐねと隆起する装飾はどうでしょう。すごい。脳内が混乱するすごさです。渦巻きに覆われた水煙文土器などは装飾が過ぎて、もはや主体が器なのか装飾なのかわからない。こんなに面白い造形を、現代人は作れるでしょうか。

館内では一点一点をじっくり、時には全方位から眺め、作った人の手の動きや思考の跡までも想像しました。この文様は植物の茎を丸刀のように使って刻みつけたんじゃないか、とか、土器の縁には突起が8つあるのに、その下の模様が5つなのはなぜだろうとか。いくつも見るうち、「とんでもなくうまい人と、そうでもない人がいたのだな」とわかったのも楽しい発見です。

土偶に関して興味深かったのは、そもそも壊すことを前提に焼かれたらしいこと。バラバラにして土に還すことで、命の芽吹きや再生を祈ったのかもしれません。アニメのような造形にも、信仰や自然観が込められていた。今や欠かせない循環の意識を、縄文人がすでに持っていたのですね。

印象的だったのは、博物館から博物館へと移動する道中の、ゆったりした景色。5000年前の人たちが眺めたのと同じ、八ケ岳の大らかな山並みです。学芸員の方々によればここ中部高地は、北陸や関西などあちこちから人が集まった文化交流点だったそう。加えて、安定した食糧事情によって気持ちにもゆとりがあった。だからこそ、複雑で豊かで遊びのあるデザインを生み出せたのかな、と想像します。

そう考えると、本来は煮炊きの道具であった土器が、こんなにも「飾りすぎ」な理由も見えてきます。使うのにも運ぶのにも邪魔な突起や装飾を、なぜつけたのか。きっと、土器が単なる道具ではなく、ものを食べられる状態にしてくれる尊い存在だったからでしょう。現に、今回見た土器の装飾の中には、命を育む母体や精霊をイメージさせるものもありました。それは彼らが作らずにはいられなかったもの。純粋なパッションの表れだったのだと思いたい。

近代のモダンデザインは、機能的な美しさを目指して進化してきました。例えば、両手で水をすくって飲む時の形を原点とする器が、より持ちやすく飲みやすく倒れにくい形へと進化したように。ところが縄文文化は、それとは異なるベクトルで育まれ、途方もない時間をかけて独自に進化した。彼らが向かったのは、機能美ではない表現と、思いを託すもの作り。思いとは、命を生み出すものへの感謝や神的な存在への祈りといった、彼らの世界観と物語です。

デザインには「物語」があってほしいと、私はいつも考えています。縄文には物語があり、物語を表現できる自由な土壌があった。私はそこに喜びを感じるし、現代のデザインをブレイクスルーさせる大切なヒントがあるとさえ思っているのです。

佐藤卓 金生遺跡
八ケ岳や甲斐駒ケ岳に囲まれた山梨県北杜市の〈金生遺跡〉で。手前は配石遺構と呼ばれる、膨大な数の石を集めた祭壇跡。縄文後期から晩期にかけて祭祀が行われた。「縄文の人々と同じ風景を見ていると思うと、胸が熱くなります」