第十九回「躾」
Aさんは幼い頃、自宅の階段下にある押し入れを恐れていた。躾に厳しかった祖父の怒りにふれると、Aさんはいつもそこに連れていかれた。「ここで頭を冷やして反省しなさい」。
小さな扉の向こうには三角形の狭苦しい暗闇があり、ひとたびそこに入れられるとAさんが泣いて謝ってもなかなか出してもらえなかった。真っ暗な空間に閉じ込められる心細さは、幼いAさんの心に強烈にこびりつき、厳格な祖父もろとも恐怖の対象になっていった。
自宅の建て替えが行われたのは、Aさんが10代中盤になった頃だった。あの忌まわしい場所は幼少期を過ごした家ごと失われ、過去の出来事になっていった。「そういえば前の家に住んでた頃、私が悪さをしたらおじいちゃんに階段下の押し入れに閉じ込められてたよね」。大人になったAさんはなにげなく語った。両親と祖父は目を丸くした。
そして戸惑いがちに、かつて住んでいたあの家に階段下の押し入れなど存在しなかったこと、祖父がAさんを躾と称してどこかに閉じ込めるなどただの一度もなかったことを語った。今でも、あの狭苦しい空間はなんだったのか、Aさんを押し込めていたのは誰だったのか、わからないままだ。