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アーティスト・榊智子の机と仕事場。地面から立ち上がった、意思ある砦

ある人は「机なんて、なんでもいい」と言い、またある人は「この机じゃないとダメ」と言う。創作の手助けをする道具でもあるし、体の一部みたいに親密な存在でもあって、整えたり散らかしたりを繰り返しながら、絵や言葉やデザインが生まれる。その痕跡が残る机と仕事場を訪ねた。

photo: Yoichi Nagano / text: Yuka Sano / edit: Tami Okano

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頭の中に散らかっているものを、整理するための場所

そして/私は/裸で/立っている、/ふたたび/事物のあいだに/そして/初めの位置に、──机の上には、ジョナス・メカスの詩「森の中で」の一節が置かれている。

葉山の築120年の家に、アーティスト、榊智子さんのアトリエはある。10年前に越してきたとき、庭に面したサンルームのある部屋を、「私に用意された場所」と感じ、真っ先に家族に宣言した。

米国人が長く暮らしたこの家には、ペンダントライトのための配線がなかった。だから榊さんのアトリエには、いまも照明がない。サンルームから入る光が、この世の始まりみたいに、暗い室内を照らしている。

古い、ひずんだガラスのはまった木戸のすみっこから、庭の草木が部屋のなかになだれ込むように枝を伸ばす。「カロライナジャスミン、アケビ、ヤマノイモ、ノウゼンカズラ。いまは4つの植物が入り込んでいます」

榊さんはこの部屋の床に座って、日の光が移動するのに合わせて場所を変えて、ものを作る。「天気さえ良ければ午後4時頃までは、冬でも暖かい」という。

暗い室内に目が慣れてくると、部屋のなかにあるもの一つ一つの存在が立ち上ってくる。麦藁や石や草や種で作られた造形物。どれもみな、自然界にあるものだけれど、自然そのものではない。朽ちて乾いて、もう一度榊さんの手によって命が吹き込まれたものばかり。ここは生と死の循環の、あわいのような場所だ。

幼稚園のバスを待つ間にも、かぎ針を持って編み物をしているような子供だったという榊さんは、「自然を知りたくて」ずっとずっと手を動かして、何かを作ってきた。「自分のなかにテーマを掲げて、そのことだけを思って手を動かしていると、頭は休まって、いろんなことに気づかされる」という。そうやって、自然や生命の理に耳を澄ましてきた。

まるで宇宙を巡る星々のような作品に囲まれて、アトリエに置かれた机は、そこだけ地面から立ち上がった、意思ある砦のようだ。ここに越してきたときに、大きな机が欲しいと、古道具を商う夫に頼んだ。塗装もしていない無垢の木の机は、「頭のなかに散らかっているものを整理するための場所」である。自然のなかから受け取ったものを形にする営みに、言葉によって、輪郭を与える場所だ。本を読み、文字を書く。

アーティスト・榊智子の仕事場
壁には、月桃やスイートグラスの繊維を三つ編みにした作品など。ガラスケースには榊さんのバイブル『BRAIDING SWEETGRASS』(ロビン・ウォール・キマラー著)を収めてある。

ここ半年ほど、榊さんは手が動かない時期があった。ものができて、それに何の意味がある?と思うようになった。アトリエにも入らず、活字も読もうという気持ちになれなかった。けれども、「そもそも人間って無意味な創作活動をしたり、悩んだり、不完全な存在なんだと気づいたら、すべてが愛おしくなってきた」という。

ここから自分が何をするのか。いままた机に向かう。「ふたたび/事物のあいだに/そして/初めの位置に、」榊さんは進んでいる。

アーティスト・榊智子
「子供の頃遊びに夢中になったように、遊びが仕事」と榊さん。「自分が作るものは自然のなかに用意されていた形」だと感じている。

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