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翻訳家・斎藤真理子×モデル・前田エマ。韓国の現代詩を読み、自由な言葉と出会う

文学、映画、ドラマが盛り上がる韓国文化だが、まだまだ知られていない詩の世界。詩人・茨木のり子が1990年に発表した『韓国現代詩選』が復刊。前田エマさんが、本書の解説を務めた翻訳者の斎藤真理子さんに聞く、豊かな韓国現代詩の世界。

photo: Shu Yamamoto / text: Keiko Kamijo

前田エマ

私が韓国の詩に興味を持ったのは、ドラマや映画で引用されていたり、アイドルが愛読書として詩集を紹介していたりしたのがきっかけです。韓国では詩が弾圧や戦争の中で人々を鼓舞したり心の拠(よ)りどころとなっていたり、子供のための「童詩」といわれるジャンルがあることがわかって。日本と韓国とでは詩への向き合い方が全然違う。

斎藤真理子

確かに韓国の人たちは詩が大好きなんですよね。詩人も多く詩集もたくさん出版されていて、とにかく情報が多い。小さな頃から授業でも触れますし、詩集が普通の本より安くて、インターネットで詩の全文が閲覧できるサイトがあったりする。

だから、韓国の多くの人が自分の好きな詩をすらすら暗唱できるし、若い人たちも手紙に詩を一編添えたりするのが普通。それくらい浸透していると思います。

前田

茨木のり子さんが選んで翻訳もされた『韓国現代詩選』、読みました。韓国の様々な詩人の作品をまとめて読むのは初めてだったんですが、詩の懐の深さというか内容の幅広さに驚きました。

『韓国現代詩選〈新版〉』茨木のり子/訳編
『韓国現代詩選〈新版〉』茨木のり子/訳編
詩人・茨木のり子が「まったく一種のカンだけを頼りに、五十冊ぐらいの詩集のなかから選び」自身で翻訳を手がけた、隣国の詩人12人、62編の詩。刊行から三十余年経つが、まったく色褪せない詩人たちの言葉。解説は若松英輔、斎藤真理子。亜紀書房/2,420円。

斎藤

日本における韓国文学への関心はこの数年で確実に高まってきていますが、詩はまだまだです。だから、今回の復刊はとてもうれしいです。日本には翻訳詩アンソロジーの豊かな伝統があるんですが、この本はその延長線上にある一冊。茨木のり子が選定も翻訳も手がけている。

詩人の選び方が個性的だし、文章を削ったり足したりと相当な「手入れ」をしている、非常に作品性が高い本なんです。特に李海仁(イ・ヘイン)や洪允淑(ホン・ユンスク)あたりは、韓国で出版される現代詩アンソロジーにはあまり選ばれない詩人だと思います。

前田

斎藤さんが改めて原文と比較して面白かったところはどこですか?

斎藤

例えば、洪允淑の「人を探しています」で「うすももいろの膝小僧 鹿の瞳」とありますが、これは盧天命(ノ・チョンミョン)の有名な詩「鹿」を、「ひとかかえのつつじ色の愛」という言葉は、同じく有名な詩人・金素月(キム・ソウォル)の代表作「つつじの花」を想起させます。植民地時代を生きたこの2人の詩は韓国人なら誰でも知っていて、もちろん茨木さんもご存じだったと思います。

まだ生まれた時のまんまの
うすももいろの膝小僧 鹿の瞳(ひとみ)
ふくらんだ胸
ひとかかえのつつじ色の愛

「人を探しています」洪允淑/著
茨木のり子/訳(『韓国現代詩選〈新版〉』に収録)より一部抜粋

斎藤

続いて同じ詩の「さまよい歩き綿のように疲れはて眠っていたりするのでは」。「綿のように」が原文にはないんですが、1行だけを長くすることで想像力も広がるし、視覚的な効果も出ていて実に見事。この詩は、失われた青春を思い起こすと同時に、離散家族捜しのことが重ねられた深い詩なんです。茨木さんと洪さんは交遊があり、お互いの詩も読んでいたので、こうした細やかな翻訳ができたのかなと。

前田

茨木さんがどうにかして韓国の詩を日本人に届けたい、という覚悟みたいなものが感じられます。

斎藤

そうだと思います。もちろん今のように教科書的な説明もできるけど、日本人たちは韓国の古い詩を知らない。だから茨木さんは説明の代わりに余韻が出るような懐の深い詩に仕立て上げたのだと思います。

好きな詩から言葉を拾い、自分のアンソロジーを編む

前田

韓国の文化や歴史的背景を知らずとも、今の自分に突き刺さるフレーズがあったり、涙が出てしまうような言葉に出会うこともできる。その後、解説を読んだり、歴史を知ることで、さらに詩が深まっていく。個人的に気になった詩はいっぱいあったんですが、李海仁の「誰かがわたしのなかで」や河鐘五(ハ・ジョンオ)の「忘憂里(マンウーリ)で暮らしながら」が特に印象に残りました。

韓国の詩って一見すると身近なテーマかな?と思って読み進めると、最後の方でパーッと想像できないところへと連れていかれる。時空がぐわんと揺さぶられる感じがします。

誰かが わたしのなかで
咳をしている
冬の木のようにさびしくて
まっすぐな人が ひとり 立っている

「誰かがわたしのなかで」李海仁/著
茨木のり子/訳(『韓国現代詩選〈新版〉』に収録)より一部抜粋

斎藤

すごくよくわかります。近くに来たかと思ったら、遠くに押しやられたり、遠くにあったかと思ったらすぐそばにあったり。自分を取り巻く同心円が膨らんだり縮んだりする、その動きがかなり肉感的。行きつ戻りつするなかに、祖先のことまでが含まれて、叙事詩みたいなものもありますね。

前田

巻末に茨木さんが、書店で詩をノートに書き写している少女を見て、それが自分のアンソロジーを作るためだとわかり触発されてこの本を作ったと書いていて。好きな曲のプレイリストを友達とシェアするのと似た感覚だなと嬉しかったです。

斎藤

そう。アンソロジーは誰でも作れますよね。私も若い頃、図書館で世界の詩人の作品を書き写していました。韓国の人たちも自分に引きつけて詩に親しんでいます。さらに3冊の詩集をおすすめしましたが、いかがでしたか?

前田

どれも本当に面白かったです。特に許榮善(ホ・ヨンソン)の『海女たち』の力強さたるや。毎日命を危険にさらしながら海に潜り、家族を養い、女性たちが連帯しながら闘ってきた歴史があったのかと驚きました。エッセイや小説じゃなくて、詩だからこそ伝わってくる迫力がありました。

斎藤

確かにそうですね。一人一人の海女の名前を呼び、記録して、その人たちの人生を詩で表現することで、生命力が半端ない燃え方をする。詩という、思想と言葉とリズムが三位一体となった表現だったからこそ身体的に感じるものになった。

前田

韓江(ハン・ガン)さんの小説が大好きなのですが、『引き出しに夕方をしまっておいた』は柔らかいのに強さがありました。

斎藤

韓江は韓国の歴史を引き受けて書く、大変な仕事に取り組んでいる作家ですが、確かに小説の緊張感とはちょっと違いますよね。

前田

彼女が小説の中で時折登場させる、繊細な描写の原風景を見ているような。ただ言葉が紙の上にあるだけなんですが、だからこそ広がる自由さを感じました。肉体や動物をモノのようにある意味で冷たく描き、だからこそ際立つ人間の業があるような。

斎藤

そうなんですよね。彼女は血が冷たいけれどすごく内側は熱い、この不思議さが、前田さんがおっしゃったようにかなり純粋な形で出ている気がします。詩を読んで、彼女に親しみを持ちました。

前田

私もです。もともと韓国文化は好きでしたが、今回詩の世界に触れて、未知の扉が少し開かれた感じがしました。

幼い鳥が飛んでいくのを見た
涙がまだ乾いていなかった

「二〇〇五年五月三十日、済州島の春の海は陽射しが半分。
魚のうろこのような風は私の体に強く塩気を吹きかけ、
これからのあなたの生はおまけだと」ハン・ガン/著
きむふな、斎藤真理子/訳(『引き出しに夕方をしまっておいた』に収録)より抜粋

私に
心臓がある、
痛みを知らない
冷たい髪の毛と爪がある。

「解剖劇場2」ハン・ガン/著
きむふな、斎藤真理子/訳(『引き出しに夕方をしまっておいた』に収録)より一部抜粋
『引き出しに夕方をしまっておいた』ハン・ガン/著 きむふな、斎藤真理子/訳
『引き出しに夕方をしまっておいた』ハン・ガン/著 きむふな、斎藤真理子/訳
1970年生まれの詩人であり小説家による60編の詩。アジア人初のブッカー賞を受賞した『菜食主義者』や光州事件に真正面から取り組んだ『少年が来る』などの小説で鮮烈な言葉を放つ作家が書き続けた、体の内側から滲み出る純粋な言葉たち。クオン/2,420円。

斎藤真理子の、韓国現代詩に親しむ3冊