町田康『告白』
町田康さんの作品を、折に触れて読んできた。
最初に出会ったのは『パンク侍、斬られて候』で、そのタイトルもさることながら、時代物にもかかわらず平気で現代語が飛び交う作風に度肝を抜かれた。
ぼくは昔、かなりルールを重視するタイプで、ある時代を描くなら、それにふさわしい文体を用いなければならないと考えていた。
だが、町田さんや筒井康隆さんの作品を知り、自分が抱いていた「ブンガクかくあるべし」という価値観がいかに狭く小さいものであったのか痛感した。今ではむしろ、どこまでぶっとんだものに出会えるかが、本を読む大きな楽しみになっている。
パンク侍のあと、『くっすん大黒』や『きれぎれ』など、初期の作品はあらかた読んだ。中でも『供花(くうげ)』という詩集には度肝を抜かれた。
町田さんはもともと、町田町蔵という名義で「INU」というパンクロックバンドを率いていて、そのエッセンスがふんだんに詰まった怪作だ。こちらも激しくおすすめしたい。
さて、そんなふうに町田作品に親しんできたぼくだが、では一番のお気に入りはと問われたら、間髪を容れずに『告白』だと答えざるをえない。
河内音頭のスタンダードナンバーである「河内十人斬り」という、実際に起きた大量殺人事件を題材にしたこの作品は、谷崎潤一郎賞を受賞した、町田さんの代表作の一つである。
といっても、ぼく自身はこの作品の文学的価値がどうだとか、そういうことを言うつもりはない。あるいは、作品には町田さん特有のユーモアがこれでもかとちりばめられているが、そういった側面がいちおしなわけでもない。
では、何がそんなに好きなのか。答えは至極単純で、今回再読してもやはり、ああ、おれのことが書いてある、と思ったからだ。
主人公・城戸熊太郎は、幼いころから過度に思弁的であり、その思弁をアウトプットする言語を持たないがゆえに、周囲に馴染めずにいる。
長じて極道者になった彼は、妻の姦淫をきっかけに、弟分の谷弥五郎と共にとある大事件を引き起こす……。
ほんのちょっとのきっかけで歯車がずれ、それが連鎖してしまった果てに、気づけば引き返せないところにきている。それは決してフィクショナルなものではなくて、自分にもありえたし、実際にあったことなのだと、初読時のぼくも思ったはずだ。
本当のことを書く。本当のことを語る。文字にするのは簡単で、けれど実行するのは容易くない。物語の終幕、熊太郎がおのれの心を見つめる。そこに広がっていたのは、曠野だった。それは絶望だったのか、それとも。
幼いころ、頭の中でたくさんの言葉がうねっていて、口が追いつかなかった。言葉にできるのは思弁のほんのわずかな部分にすぎず、しゃべるたびに何かを取りこぼしていく気がした。
しかしいつしか言葉の奔流は落ち着き、適切な分量を適切な語り口でしゃべれるようになった。それは成長だと思っていた。けれど実際は、退化していたのかもしれない。
人生の中で、あと何回この本を読み返せるだろう。そのときに何を感じるだろう。願わくば、そのときに嘘のない本当のことを感じられるようでありたい。