米澤穂信『さよなら妖精』
いくつか鮮明なシーンがある。覗き込んでくる目、カールがかった黒髪、白い首筋、『哲学的意味がありますか?』、そして紫陽花。
米澤穂信さんの長編『さよなら妖精』冒頭の、印象的な一節だ。
地方都市・藤柴市に暮らす高校生の守屋路行は、春雨の降りしきる中、ユーゴスラヴィアから来た一人の少女・マーヤと出会う。宿のあてがない彼女を助けたことから、彼らの短くも忘れがたい日々が始まってゆく。
序盤から中盤にかけては、いわゆる「日常の謎」を解き明かしながら、マーヤとの交流が描かれる。何気ない会話や風景描写にも青春のきらめきを感じて、ああ、初めて読んだときも羨ましく思ったなあ、と懐かしくなった。
しかし終盤にかけて物語は大きくドライブし、守屋たちは最大の謎に直面する。まさしく「何気ない」と思っていた文章の至るところにヒントがちりばめられていて、米澤さんの筆の巧みさに舌を巻いた。
連載にあたり再読してもっとも印象が変わったのは、主人公の守屋だ。
最初に読んだときは彼のことを、もう一人の探偵役である「センドー」こと太刀洗万智には及ばないものの、それなりに頭の切れる人物だと思った気がする。
たぶん当時の自分が、そういう存在に憧れていたからだと思う。クールな太刀洗よりも人情を解する(とそのころは思えた)知恵者の守屋のようでありたかったのだろう。
けれど今回、それは間違いではないけれど、かなり浅い読みだったのだと思わされた。
具体的にはぜひ皆さまご自身で最後まで読み、感じていただきたいが、いわゆる「やれやれ系」のように思える守屋の一人称語りは、緻密に計算されたものなのではないだろうか。
また、あまりに様々なことが「わかって」しまう太刀洗万智の苦しみや哀しみに、30を過ぎた今やっと、少しばかり歩み寄れたように感じた。
もっとも、それとて結局は、単なる浅慮にすぎないかもしれないけれど。
ちなみに、太刀洗万智はその後、『王とサーカス』『真実の10メートル手前』という作品でも探偵役を務めている。
前者はネパールを舞台にした壮大な長編、後者は短編集だが、どちらもものすごく面白いのでおすすめしたい。
特に『王とサーカス』の衝撃たるやすさまじく、むせかえるような異国の雰囲気もあいまって、強く印象に残っている。
とここまで書いてきて、そういえば米澤さんの『追想五断章』も大好きだったなと思い出した。
こちらは短編連作なのだが、合間に5つのリドルストーリー(結末のわからない物語)が差し込まれており、いずれも異国が舞台となっている。
『さよなら妖精』も、異国——ユーゴスラヴィアを題材にした小説だ。もしかしたらぼくは、米澤さんの描く異国に惹かれる部分があるのかもしれない。
この物語は、1991年4月23日から始まっている。奇しくも、ぼくの誕生日の1日後だ。今まで何度か読み返してきたが、気づいたのは今回が初めてだった。
こういうことがあるから、本を読むのは、読み返すのは面白いよな、とつくづく感じる。
米澤さんの小説は——その多くがミステリという体裁をとっていながらも——答えをすべて提示するというよりは、読み手の心にひっそりと棲みつき、折に触れて謎を問うてくる、そんな印象を与える。
だからだろうか、ひとたび本を開いてしまえば、ぼくはたちまち異国にいざなわれ、雨と霧まじりの世界をあてもなく彷徨してしまう。
そしてそれが、ひどく心地よいのだ。