1940年代-50年代:社会や思想の不確かさを
思い知り、古典に向かう
戦後すぐ、手に入って読めるものというと巌谷小波の『お伽噺』や、同級生の家にあった佐々木邦のユーモア小説なんかだな。闇市で本が売られていて。『十五少年漂流記』やファーブルの本に出会いました。古本屋さんもあったね。
中学、高校ではほとんど翻訳文学。日本のものは、戦前の考え方と切り替わっているのかいなのだか、どうも読む気がしなかった。一億玉砕本土決戦だと言って竹槍訓練やらをしていたのが、一夜で完全にひっくり返るのを見ていましたからね。
命がけでやっていても、これだけころっと変わるもんかっていうのがある。今でも、政治家が「命をかけます」なんて言っていても、全然信用できない。
大学に行くようになって、漱石とか鴎外は真面目に読んだものです。今と違い、ある程度「当然読んでいるべき」という古典文学や哲学書があった。旧制高校の学生たちが愛読した、いわゆる「デカンショ」(デカルト、カント、ショーペンハウアー)。
同時代の本はあんまり読んでいないんですけれども、大江健三郎『死者の奢り』には迷惑しましたね。当時僕は解剖学教室にいて、「死体洗いのアルバイトがあるそうですが」って電話を何度受けたかわからない。
60年代:移ろう文学よりも、
現在につながる科学を
この時代、僕が科学を志した理由に「もの」の世界は変わらない、ということがあった。抽象的なものはあまり信用しない。だから社会的な関心というのはなかったですね。そんなものに関心を持ったとして、いつひっくり返るかわからない。つまり1945年のあの原風景に戻るんです。
小田実とか、純文学でいうと三島由紀夫とか石原慎太郎とか、出ていたことは知っているけれど、新刊ではだいたい読まない。なんで売れてるのかもよくわからない。当時手に取ったものでは、R・D・レイン『ひき裂かれた自己』があります。これは面白かった。
それまで精神科の病気というのはもっぱら患者自身の問題だと思っていたのが、かなり強く環境ということを意識して書いている。そういう見方ができるのかとちょっと驚きました。
理科系の本というのは、今ほどはそんなになかったです。岩波新書が出て、八杉竜一さんの進化論、遺伝子の本は結構凝って集めていました。ほかはすべて論文。山中伸弥教授と一緒にノーベル賞を受賞したガードンの論文は、私が大学1年の時に出たんです。
iPS細胞発見の根幹となるものですね。非常にびっくりして読んだ覚えがあります。これが進んでいくとどうなるんだろうな、と思った。
もう一つ非常に大きな論文があって、それはジャコブ&モノーの「オペロン説」。その時僕は生意気にも、分子生物学はこれでおしまい、その後の発展は当然予測できる線路の上だ、と考えたものです。
つまり、今みたいになるだろうと。ただし、その時の僕が全く見落としていたのは AIのことだったんですね。
70年代:戦前戦中が、積極的に
語られる時代になってきた
新刊で読んで印象に残っているのは、山本七平『私の中の日本軍』です。やっと戦前戦中のことが客観的に語られる時代になってきた、という実感がありました。それまでは、大日本帝国の考え方のままか、さもなければ戦後のいわゆる東京裁判史観に基づいた本ばかりだった。そのどちらでもない、非常に理性的な本が出たと思いました。
1971年に僕はメルボルン大学に留学。初めての海外です。オーストラリア大陸の人口が全体で1200万程度でしたから、人口密集地の東京とは全然違う感じ。この時に思ったのは、人口が少なければ人間一人一人の価値が高くなるのではないか、ということ。
週休2日になって、それをフルに使って昆虫採集をしていました。助教授にするから帰ってこいと言われて、その生活は1年で終わっちゃった。日本に戻ると、加速する環境破壊に対してもう諦めた、という感じがしました。
漫画雑誌でいうとちょうど『ガロ』が出ていた頃。『COM』では手塚治虫が『火の鳥』を連載していたのを読んでいたけれど、もう今はほとんど覚えていないな。あとはエンターテインメントを読んでいましたね。
ハヤカワ・ポケット・ミステリのシリーズで、エド・マクベインとか、ロス・マクドナルドとか、警察小説のはしりです。菊池光が翻訳した、ディック・フランシスの競馬小説シリーズも好きで、年に1作ずつ出るのを全部読んでいます。
魅力は、男くさいところ。僕は母親が開業医で、姉が11歳上。母親が2人いる母子家庭で育ったようなものなので、女は怖いというのが大前提ですから。