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養老孟司は、こんな本を読んできた。 1930年生まれの読書歴〜後編〜

何年、何歳の時に、どんな本を読んできたか。その時、世間をどのように感じ取っていたか。84歳の生命誌学者と83歳の解剖学者は、共に第二次大戦前の生まれ。昭和〜平成〜令和の激動の中、時代の気分に迎合せず、自身の思考を深め続けている。“科学者の目”で選び取った本の履歴から、約80年にわたる同時代史を俯瞰しよう。「養老孟司は、こんな本を読んできた。 1930年生まれの読書歴〜前編〜」を読む

Text&edit: Azumi Kubota

80年代:今につながるものと、
跡形も残らなかったものと

推理小説に恋愛が出てくると、邪魔くせえな、いらないよこんなもの。と思っていました。あんなものただの病気です。恋愛小説なんてとんでもない。『ノルウェイの森』『キッチン』……あるのは知っていましたけれどね、他人の病気の話なんて読んでもつまらないです。

「構造主義」という言葉ももてはやされていましたが、振り返ると意味がよくわからないまんまです。今は名前すら出てこなくなっちゃった。
ただ、レヴィ=ストロースは読みました。やっぱり『悲しき熱帯』。あと、やたら厚い本を書く人。ミシェル・フーコーの『言葉と物』とかね。やはり元の言語で読めないとダメ。僕は英語とドイツ語はなんとかなるが、フランス語だとよく読めない。特に長くなるとお手上げでした。

自分の専門分野に近いところだと、『レナードの朝』を書いたオリヴァー・サックスが続々と新刊を出版していまして、大変面白く、随分と一生懸命に読みました。同世代というところにも共感があったかもしれない。僕が『唯脳論』という著作を書いたのがこの頃。

やっぱり、本を書くのが自分の考えをまとめるのに一番いいんです。だからこれ以降、どんどん芋づる式に出てきちゃうんです。それを読まされる方は迷惑な話ですね。

AIという言葉に出会ったのも1980年代のことです。こちらは医学や生物の分野とは違って、今のようになるとは想像していなかったけれども。コンピューターゲームでは遊んでいましたよ。『平安京エイリアン』『パックマン』『インベーダーゲーム』とかね。

1990年代:“わかりやすさ”を求める
ことが始まった時代

ベストセラーリストに『脳内革命』『話を聞かない男、地図が読めない女』といった本がありましたか。僕は全然読んでいません。ただ、この時代あたりから、人間の行動について、脳の話を援用して「いわば科学的」というカッコつきで、語るという傾向が出てきたように思います。

社会科学の専門分野に、自然科学が顔を出してきたのですね。僕はこの頃から、編集者に「わかりやすくしてくれ」と言われると、「難しい問題をわかりやすく書くのは詐欺だ」って答えるようになった。
評論は扱っている問題の難しさにふさわしい表現が一番。それでないと、甘く見るんですね。だから、やさしくはできない。そうした世相で、平易な言葉で複雑なことを真に表現していたのは、心理学者の河合隼雄さんじゃないでしょうか。

あの人は真面目な話になると「私は嘘しか申しません」って必ず言ったんです。そんなことを言える人はものをよく考えている。信用ができますよ。『ウソツキクラブ短信』なんていう本も出していた。河合さんはもともと数学の出身で、自己言及の矛盾というものをよくわかっていた。

個人のことでいうと、1995年に東大を退官して、明るくなったと僕は言われます。まずブータンに半月ほど行って、虫採りをしてきました。相変わらず、欠かさず読むのは、ミステリーとホラー。そこにロバート・ジョーダンの『時の車輪』シリーズなどファンタジーも加わりました。

ミステリーだと、フロスト警部のシリーズなんて、新刊を待ち望んだものです。日本のサラリーマンにはぜひ読んでほしいね。

2000年代-10年代:興味は尽きない、
寿命が足りない

2000年代、早くに亡くなってしまい惜しいことをした、と思う書き手がたくさんいますね。米原万里さんのエッセイ『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は人によく薦めるんですよ。明るいというか、柄の大きな人でした。

『バカの壁』は03年ですか。自分でベストセラーを書いてみてどんな気持ちかと、よく聞かれるんですけどね、何の関係もないって感じ。自ら書いたわけでもなく、売れようと思ったわけでもなく。
ただおかげさまで、箱根に別荘である養老昆虫館ができました。版元は「バカハウス」と呼んでいます。

『ハリー・ポッター』は読みました。まあ、イギリスらしい典型的なファンタジーですね。僕が今読んでいるのはL・M・ビジョルドの作品。SFとファンタジーの両方を書いている人です。だいたい今はもう、大抵の本はアマゾンで簡単に手に入りますから、本を探すのに指一本で済んじゃう。

僕は19世紀のイギリス文学について、これからもうちょっと読んでみたいと思っているのです。基本的にこのあたりの原典全集は無料ですしね。ディッケンズとか、ザッカリーとか、ジェーン・オースティンとか。イギリスの社会というのは面白い。

アメリカもその一派みたいなものですが、だいたい推理小説なんか見ていると死体だらけ。『生物多様性という名の革命』という、生物学者たちのインタビュー集を読むと、この言葉が生まれた背景にもイギリスの文化というものが関わっているように思える。

それで、イギリスの歴史からずうっと見てみようかなと。実に時間が足りません。