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生命誌研究者・中村桂子は、こんな本を読んできた。 1930年生まれの読書歴〜後編〜

何年、何歳の時に、どんな本を読んできたか。その時、世間をどのように感じ取っていたか。第二次大戦前の生まれの生命誌研究者・中村桂子さん。昭和〜平成〜令和の激動の中、時代の気分に迎合せず、自身の思考を深め続けている。“科学者の目”で選び取った本の履歴から、約80年にわたる同時代史を俯瞰しよう。「生命誌研究者・中村桂子は、こんな本を読んできた。 1930年生まれの読書歴〜前編〜」を読む

Text&edit: Azumi Kubota

80s:わかることを増やすより
わからないことが面白い

チェルノブイリの原発事故があって、変わるべきなのに変わらなかった時代、という印象があります。話題になった本で記憶に残っているのは、ミヒャエル・エンデの『モモ』。私自身も大好きで、学ぶことがたくさんある物語です。

だけれど、作者エンデの全体的な考え方を見渡すと、科学をとても否定的に捉えている。進歩だけを考える科学ではだめだけれど、じゃあどう乗り越えるか、が語られていません。
1980年代というのは、ニューサイエンス・ニューエイジと言って東洋思想に傾いてみたりと、科学から飛躍した方へ向かう時代でもありました。そうした気分に対する違和感もありました。

みんなが“わかりたがりすぎる”という背景があったと思う。わからないことを全部わかっちゃったら怖いでしょう。わからないからこそ面白い。知識が増えるたびにわからないことが増えていく。正しくわかった、と決めつけると、そこで終わってしまって先に行かれない。
わからないということが大好きな人が科学者になるのだと思います。科学を否定してみても、振り回しすぎてもしょうがない、もっと自然を深く見る方法を探さなきゃいけません。

黒柳徹子さんが自身の少女時代を書いた『窓ぎわのトットちゃん』がベストセラーに。彼女は私の3つ年上、人柄が出ていて楽しく読みました。私はもう少し穏やかでしたけれど、その時代の女の子としてわかります。

個人的には、80年に日本近代文学館が刊行した『名著復刻全集』を求め、日本の名著とされる小説を再読した時期。繰り返し読んだものでは、漱石が一番多いと思います。

90s:生命誌を通じて、
知の分野がつながることを知る

1992年、バブル経済がはじけました。同時期に私は「人間は生き物の一つである」という考えを深める場として、生命誌研究館を大阪に創立。私には経済なんて全然わからないけれど、当時、宇沢弘文さんの経済学についての本を読んで、自分が考えてきたことに通じるものを感じました。

経済は心がなければいけない、と宇沢さんは言います。経済って、みんなが生きやすい方向にサポートしていく、ということ。だから、生命を考えることと目指すことは同じなのです。「みんなでちゃんと生きましょう」というお話が、心に訴えかけます。

それから90年代、進化生物学者・生物地理学者のジャレド・ダイアモンドが『人間はどこまでチンパンジーか?人類進化の栄光と翳り』『銃・病原菌・鉄』という、非常に良い本を書いています。『銃・病原菌・鉄』はニューギニア人の政治家、ヤリとの対話から始まります。

なぜ先住民がユーラシア大陸の人間から奪われるだけで、逆はないのか。その問いを考えることから始める。それは非常に誠実で、科学者としてとても好ましい態度に思いました。

生態学・文化人類学の今西錦司さんが亡くなられたのも92年ですね。彼が遺した『生物の世界』は素晴らしいですよ。今西さんの学問について、私はすべてを認めるわけではないのですけれど、この本は特別。

今西さんがまだ研究らしき研究を始めていないまま、戦争に行かねばならなくて、それまでの「生き物とは何か」について懸命に考え、思いのたけを綴ったもの。若い世代にぜひ読んでもらいたいと思う本です。

2000s-10s:最新の知に触れて、
農を考え、賢治を開く

小説では、音楽が好きなので、コンクールを扱った『蜜蜂と遠雷』が面白かったですね。今は漫画の『鬼滅の刃』がすごく人気があって、人間的な話だからぜひ読みなさいとよく薦められますけれど。
私は争いが苦手で、けんかもできないんです。戦いの話だと聞いてしまうとなかなか手が出ず、まだ読む気にはなれずにいます。

現在の関心、と言っても、次々変わるのですが、私自身は生命誌の視点で、『宮澤賢治全集』をもう一度読み直しています。というのも、21世紀に入って、『サピエンス全史』を書いたY・N・ハラリや、先のジャレド・ダイアモンドなど、人類の全体を見始めた人が、農業は人類史の中での最大の詐欺だった、と言っているのね。

工業社会が良くなくて、自然を扱う農業は良いことではないか、今までは単純にそう思ってきました。しかし、農業を始めた時、すでに自然の搾取が始まり、交換、経済、国家、という今の社会の基本ができた。
狩猟採集から農業への変化とは何か。自然を飼いならすのではなく、人間が生き物の一つとして生きるとは、どういうことか。

生命誌としては、それももう一度見直さないといけない。宮沢賢治は農業についてたくさん書いているけれども、一方で『なめとこ山の熊』のように、支配ではなく生き物と対等な関係でいる人や暮らしを描いている。『フランドン農学校の豚』は、動物に対するインフォームドコンセントの話でびっくりします。
これを生命誌という私の専門分野で新たに読み解くことが、一つ大きなテーマ。生命誌はこれからも考え続けます。