東京のパワースポットの正解。都市形成史家・岡本哲志が東京の古層を探る

400年以上にわたり日本の中心地であり続ける東京は、大いなるパワーが宿る場所。ここではそのルーツにあたる江戸に着目し、江戸と東京という2つの大都市の発展において深い意味を持つパワースポットを紹介します。

Photo: Satoshi Nagare / Text: Emari Majima

東京の街を歩くと、古い寺社がことのほか多いと気づくはず。点在するこれらの中でもよりパワーのある寺社を選出するにあたり、都市形成史家の岡本哲志さんが着目したのは、東京の前身である江戸の成り立ち。

「江戸の都市形成において、寺社は意図的に配置と再編が行われました。都市の変遷を振り返りその意図を読み解くことで、現在の東京に大きな意味を持つ寺社が見えてくるのです」

その際の切り口が、「高・水・流・合」の4つのキーワード。

「高・水」は起伏のある地形と豊かな水脈を持つ江戸の土地のパワーを指し、高台に創建された愛宕神社や水脈上に立つ住吉神社などがスポットとして浮かび上がる。一方、「流・合」は、歴史の流れにより寺社が流転や合体をしたことで生まれるパワー。移設を繰り返した福徳神社など、意外なスポットが挙がる点も面白い。

「今回紹介する寺社は御利益的な考え方とは異なりますが、巡れば大都市として栄えた江戸の活力に触れることができるのではないでしょうか」

愛宕神社

揺らぐことのない絶対高域

高低差がある場所にできた江戸の地では、水害や火事に強い高台は神聖な場所として崇められていた。
「火事が多い江戸の町は至るところに火伏の神様が祀られていましたが、中でも揺るぎのない高台に築かれたのが愛宕神社。眺望の名所として知られ、百万都市の江戸市中を見渡せる火の見やぐらとして家康も意識していたのだと思います。

また、隅田川沿いの待乳山に立地する本龍院 待乳山聖天(台東区)も安定した土地の強さを感じるスポット。周辺には暴れ川で知られる荒川や利根川も流れており、一帯が洪水で泥海化する中でもこの山だけは“真の土”だったとされることから、待乳は“真土”とも表記するのだとか」

東京〈愛宕神社〉
標高26mの愛宕山の山頂に所在しており、神社に上る急勾配な石段は“出世の石段”と呼ばれている。

住吉神社

水を敬い、水を制する守り神

江戸が大都市へと成長した理由の一つに、水脈に恵まれていた点がある。水のある場所は守り神として祠や神社が祀られることが多く、「中でも水と深い関係を持つのが、関東の低地エリア。住吉神社がある佃は地下水脈の上に位置し、今も井戸水が出ることで知られています。

この住吉神社と豊かな湧き水で知られる亀戸香取神社(江東区)は東京湾に面した場所にありながら、塩水ではなく真水が手に入る。それだけで土地が持つ力を感じますよね」

水を守る寺社が多く存在する一方、築地の埋め立てを見守った波除稲荷神社(中央区)は、逆に“水から”土地を守るために創祀されたもの。
「埋め立てによって成長を得てきた江戸や東京にとって、最初の大事業となるのが築地。都市の発展のキーストーンがここにあると思います」

東京〈住吉神社〉

福徳神社

タフに生き抜く流転の存在

時代の流れに寄り添い移設を繰り返した福徳神社から感じるのは、変化を乗り越える柔軟なパワー。
「都市の高層化によって駐車場の2階や居酒屋の一角に鎮座した時期も。そんな不遇の時期を経て、現在は日本橋に立派な社殿が再建されています。最終的にサクセスストーリーになっているので、順風満帆な状況ではない人も勇気をもらえるのでは」

現在の桜田濠に創建された鐵砲洲稲荷神社(中央区)も、流転した寺社の一つ。
「湊が埋め立てられて外に広がったことに伴い、入江に住みついていた氏子の漁師たちが神社を移転させたのです。遷座後は船の出入りが激しい八丁堀のフリンジに位置し、江戸の海上交易の象徴に。明治時代の区画整理で水際からは外れましたが、江戸と外部を繋ぐ最前線を見守った意味深いスポットです」

東京〈福徳神社〉
空襲で社殿を焼失し仮殿に奉斎され、のちに旧鎮座地に遷座。移設を繰り返し、2014年に現在の社殿が再建された。

花園稲荷神社、五條天神社

合体パワーで御神気も強化

五條天神社と花園稲荷神社は、歴史的変遷で由緒の異なる2社が隣接して神域を共にしている点がユニーク。

「寛永寺の造営などにより、由緒ある五條天神社が遷座を重ねた結果辿り着いたのが、花園稲荷神社の隣の地でした。花園稲荷は廃絶した時期もあるけれど遷座したことはなく、2社の歴史は対照的。異なるパワーがシンクロし強大な力を生み出すワクワク感があります」

逆に、もともと一体だったが移転によって現在は別の場所に鎮座しているのが神田明神(千代田区)と将門塚(千代田区)。「どれだけ周りが変化しても時流を超越したかのように動くことがない将門塚には、底知れぬパワーを感じます。

2度の移転後現在地に立つ神田明神は神田祭の際に将門塚に神輿を渡御するのですが、大きなエネルギーがうねる祭りの中で2年に1度だけ合体するという点も非常にドラマティックです」

東京〈花園稲荷神社〉
一時社が廃絶していたが江戸時代に再建。
東京〈五條天神社〉
数度の遷座を経て現在の地に。