話を聞いた人:広瀬一郎(〈桃居〉店主)
生活に寄り添う、日本独自の器文化
日本各地の民藝を紹介する器店が増えたり、大規模展覧会が開かれたり。ここ1、2年で再々人気が高まっているのが民藝の器だろう。民藝とは1920年代半ば、思想家で哲学者の柳宗悦が唱えた考え方であり、もの作りの姿勢でもある。一言で言えば庶民の工芸。
生活の中で使うことを第一に考えた、健やかで作為のない手仕事だ。河井寬次郎、濱田庄司、バーナード・リーチといった陶芸家が有名だが、90年代から注目され始めたのは、民藝運動の流れを汲むあたらしい器作家たちだった。
きっかけの一つは工芸と同様、女性誌やライフスタイル誌。例えば陶芸家の山本教行がその代表格に挙げられる。鳥取の民藝運動を牽引した吉田璋也やバーナード・リーチに学んだ山本が作るのは、海外の民芸品や古物からヒントを得た生活の道具。
器のみならず土鍋などの調理道具を手がけたこともあり、料理家を中心とした器好きの心をわしづかみにした。個展では初日に完売することも稀ではなく、シグネチャーの土鍋は今でも常に数年待ち。“行列のできる器作家”のはしりでもある。
大人気のスリップウェアも民藝から始まった器です
さて、民藝の器といえば、忘れてはならないのがスリップウェア。英国で18〜19世紀頃作られていたオーブンウェアが原点で、その存在はバーナード・リーチらを通じて日本に伝わった。一番の特徴は、液体に近い化粧土(スリップ)で描く自由な文様。熊本の井上尚之、静岡の齊藤十郎、滋賀・信楽(しがらき)の山田洋次や栃木・益子(ましこ)の伊藤丈浩など、スリップウェアを得意とする現代作家も多いが、その礎を築いたレジェンドが柴田雅章だ。
兵庫県の丹波で伝統的な焼き物を手がけていた柴田は、英国の古いスリップウェアに憧れて製法を研究。形を整えた器に絵を描くのではなく、板状にした平らな素地に文様を施してから型で成型するという手法に辿り着いた。大胆なデザインでありながら料理が抜群に映えるスリップウェアは、多くの後続作家を生み、変わらぬ人気を誇っている。
民藝の器が広く浸透したもう一つのきっかけは、ファッションブランドの〈ビームス〉が取り上げたことだろう。ビームスの名バイヤーだった北村恵子とテリー・エリスは、益子や島根県の出西(しゅっさい)、沖縄の読谷村(よみたんそん)に通い、作り手と会って直接買い付けるというスタイルで、フィールドを切り拓く。特に人気が出たのは「やちむん」と呼ばれる沖縄の焼き物だ。
丈夫な作りとおおらかな絵柄で、瞬く間にブームとなったが、特筆すべきは、彼らの審美眼にファッション的な感覚も含まれていたこと。使いやすさはもちろん、カッコよさや楽しさも同じくらい重要視された。店内では、北欧のモダン家具やカジュアルな服と同列にディスプレイされ、ゆえに、それまで民藝や器の世界に触れてこなかった若者の間にも、新鮮かつ深掘りできる楽しみとして広まったのだ。
用の美と呼ばれる機能美を宿す生活の器は、民藝という言葉が生まれて100年近く経った今も、日本の器文化の重要な基盤となっている。