私の本棚の、主。詩人・菅原敏

折に触れて読み返したり、一読の衝撃が忘れられなかったり。あるいは、腐れ縁のようになぜかずっと捨てられなかったり。自身の本棚に鎮座する“主(ぬし)”のような本を題材に、詩人・菅原敏さんがエッセイをしたためた。

illustration: Tomo Oriyama / edit: Emi Fukushima

心に小さな火を灯す一本のマッチのような句

かつて一度だけ、本を燃やしたことがあった。場所は広島、尾道のホテル〈LOG〉。mitosaya薬草園蒸留所と一緒に作った、燃やすとレモンの香る詩集の出版記念でのこと。朗読したページを破って火をつけると、詩の言葉は香りと煙に翻訳され、灰になっていく。皆でページを破り燃やすことは、不思議な一夜の共犯関係を結んでくれた。

そんな尾道滞在中に手にした、この一冊。瀬戸内に浮かぶ小豆島、そこで41年の生涯を終えた俳人・尾崎放哉。東京帝国大学卒業後、大手企業に入社するものの酒に溺れ、妻に「一緒に死んでくれ」と頼むも逃げられ、エリート街道から転げ落ちるように俳句三昧の生活へ。

晩年は小さな庵でひたすら自己と自然に向き合い、ありのままの孤独を剥き身のまま土に置くような句をいくつも残した。かつて勤めた社内でも「石頭の我利ガリ亡者」と嫌われていたように、東大卒であることを鼻にかけ、島民を見下しながらも金や酒の無心をし、人間的な評判は最悪だったという。

癖のある気質をひとり抱え、極貧の暮らしの中で詩作にのみ生きた放哉。その一句を指でなぞれば、マッチをひとつ擦るように私たちの孤独をやさしく照らし、小さな火を灯してくれる。孤独を孤独のまま「このままでいいよ」と受け入れる余白を照らしてくれる。そんなマッチ箱のような本。

表紙に写る、ふてぶてしくもどこか憎めぬ姿は本棚の主そのもので、私が初めて一人暮らしをした時に近所の古道具屋で購入した傷の多い本棚で、他の本を蹴飛ばしては気ままにあぐらをかいたり寝そべったりしている。

『尾崎放哉全句集』尾崎放哉/著 村上護/編
「咳をしても一人」などで知られる自由律俳人の著者(1885~1926年)が、放浪の果て、孤独な生涯を終えるまでに生み出した全句を収めた一冊。日記や随筆、書簡なども収録されている。ちくま文庫/1012円。
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