つよく背中を押してくれた真っ白でうつくしい一冊
又吉直樹さんの本ばかりを並べた本棚がある。縦に積んでいくかたちの、小さなものだ。最初に読んだのは『東京百景』だった。それをきっかけに、私は本を読むようになり、文学を好きになり、しばらくして、文章を書くようになった。
そんな時期だったと思う。又吉さんが十年ぶりにエッセイ集『月と散文』を出すという。特装版が出ると聞いて、迷わず申し込んだ。経済的な余裕はなかったけれど、それでも持っていたかった。がんばろう、がんばっていこう、いつかきっと、この特装版に、サインをもらうんだ。そんなふうに、思っていた。
届いた本の、ビニールを丁寧に剥ぐ。匂いをかぎ、指の腹で表紙を撫でる。それからやっとページをひらいた。けれど、字がない。一文字もない。めくれど、めくれど、真っ白の、うつくしい紙の束。あれ、特装版ってこういうものだっけ。すこしだけ考える。
でも、そんなはずはない。取り替えてもらおうか。そんな気持ちも、ほんのすこしよぎった。でも。こんなことって、あるのだろうか。言葉のない『月と散文 特装版』が、私のところに来るなんて。良いほうの運命であってほしいと思った。
いつか、この真っ白な本を、又吉さんに見せよう。そうして、サインを入れてもらおう。それまでは、どうにか、がんばろう。つよく思った。
いまでは、その『月と散文 特装版』はサイン入りになって、本棚のいちばん上にある。私は、これからもがんばろうと思っている。

10年ぶりに上梓されたエッセイ集『月と散文』の発売を記念して数量限定で制作された。経年変化していくビロード張りの本体や、本体の題箋(だいせん)貼り、伝統的な製本技術「糸かがり綴じ」の採用など、著者の紙の本への愛が凝縮された一冊。KADOKAWA/品切れ。