Read

Read

読む

日本絵本賞大賞を受賞。冒険家の一日を描く『PIHOTEK ピヒュッティ 北極を風と歩く』を読み解く

第28回日本絵本賞大賞を受賞した、北極を行く冒険家の一日を描いた美しい絵本『PIHOTEK ピヒュッティ 北極を風と歩く』。画家の諏訪 敦さんが、同作の著者・荻田泰永さんと井上奈奈さんに話を聞く。

photo: Tomo Ishiwatari / text: Hikari Torisawa

冒険家と画家。荻田泰永×井上奈奈×諏訪 敦が絵本を読み解き、旅をする

諏訪 敦

お2人初めての共著ですが、絵本というアイデアは井上さんから出てきたんですか。

荻田泰永

いえ、私が絵本を作りたくて。これまで本を書いて感じてきた言葉の限界に挑むなら絵本がいい。奈奈さんなら、自分の思いを表現してもらえるんじゃないかと思ってお願いしました。

諏訪

冒険を題材に自らの内部への旅が描かれる。「夢」と書いているけど、荻田さんのこれはいわゆる幻視ですよね。物語の方向性はお2人で?

井上奈奈

荻田さんから渡された文章を読んだ瞬間に北極の印象が鮮やかな色彩にあふれたものに変わり、描いてみたいと思う絵がたくさん浮かんだんです。それで、文章から私がページを構成してラフ本を作り、版元に渡しました。

諏訪

井上さんの文章の呼吸ってあるじゃないですか。『PIHOTEK』でもそこに違和感がなかったので、文章にも介入されたのかと思いました。絵も文もリズムがいい。顔のアップは、実物の荻田さんを知っているとかわいすぎるんじゃないかと言いたくもなるけど(笑)。冒険の装備は、実際に荻田さんが使っているものなんでしょうか。

井上

はい。実物の装備を取材しました。

諏訪

感性をじかに掴みに行くような美しい絵本だけど、毎回新しいアイデアが浮かぶんですか?

井上

技術のストックはあるけれどそれが先行するわけではなくて、まず物語があり、そこにぴったりの技を選んで使いたいと考えていきます。

諏訪

4色のPANTONE特色インクの使用も、ストック案の一つなんですね。とても美しい。

井上

ありがとうございます。CMYKで表すものとは色域が違ってくるので、4つの特色で構成したパターンを出してモノクロで描線を描き、PCで色をシミュレーションしながら進めました。

荻田

だから原画はモノクロなんですよね。よく描けるなぁと一緒に絵本を作ってみても思います。

井上 

原画に実際に着色するのは印刷の段階ですね。印刷という過程も画材の一つとして捉えているんです。4つの特色を混色し、紙面でも重ねることで4色以上の色の世界を表現しています。

荻田泰永 井上奈奈 諏訪敦
左から、諏訪 敦、井上奈奈、荻田泰永。

冒険家が見、画家が描く光と景色

井上

絵本半ばの、風が人を通って響き、すべてが一つになるというくだりは、私がずっと抱いてきたイメージにもつながっていて。子供の頃、目をつむった眼裏で粒子が暴れているのを見て、何度も絵にしていたんです。この文章を読んだとき、ついにこれを描くときが来たなと思っちゃった。

荻田

穴の開いた人間の絵になるとは驚きました。絵本のテーマの一つである「命」って、殺す/殺される、食べる/食べられると主客に分けられがちだけど、元を辿れば一つのものだし、死んだら自分だって分解されて取り込まれていくわけだから、そこを混ぜてしまおうと思いました。

諏訪

一元論的ともいえるその感覚、実際に北極を歩いていて実感することがあったんですか?

荻田

はい。眠りに就くときに音楽が聴こえてくるというのも実体験。よくあるんです。眠るか眠らないかのまどろみの瞬間に、テントの外を吹く風の向こう側から音楽が聴こえてくるんですよ。

井上

インディアンが、太陽が昇るときに爆音を聴いていたという話を思い出します。

諏訪

すべてが溶けた風が人間を楽器にするという描写、やばいです。

荻田

「風」も主題の一つで、荘子の斉物論の天籟のイメージにも一致する、自分の実感です。

諏訪

北極の氷の上で、意識を後退させ途切れさせてしまうと生命に関わるから、神経を張り巡らせライフルをそばに置いて寝ている。ここではすべての情報が重要だから、普通だったら聴こえない音も聴こえてくるということなのかもしれない。

荻田

北極を歩いているときって、雪、風、空、湿度なんかに限定されていて情報の種類は少ないんです。でも不要なものは一つもない。自分という容れ物に情報を入れておくと、ふいに違和感を覚えるときがあって、それが、物理的には聴こえるはずのない、200m離れた熊の足音、音というよりその気配だったりするんですよ。

諏訪

面白いですね。日常では視界に入った事象を無意識のうちに重みづけしているけど、その過程で除かれる情報は膨大なものです。一方で私たち画家は、すべてをかけがえのないものとして認識しようと試みるなかで、世界が等価につながって見える体感を得ることがありますが、この感覚に近いのかもしれません。