「グールドって難しくて、迂闊に好きって言っちゃうと余計なものがいろいろ付いてくるんですよ、スノッブとかオシャレとかね」
グールドは好きですかという直球の質問に、原摩利彦はおかしそうに、でもちょっと困ったような顔で答えた。たしかにグールドという記号はある時期イケメン男子のアクセサリーのようだったし、一般名詞化した「グールド好き」は原のような音楽家ならなおのこと、口にしづらいに違いない。それでも原は言う。
「でもそんなん考えること自体がアホらしいことで、今回グールドの作品を聴き直す機会を与えてもらって、新たな発見も素晴らしさの再確認もできた今なら素直に言えますよ、はい、大好きですって」
アーティストはアーティストを知る。
原さんが感じるグールドの素晴らしさを、存分に語ってください。
飯尾洋一
最初に原さんのグールドとの出会いについて教えてください。
原摩利彦
出会いは、中学3年生の頃。ピアノの先生から「こういうモーツァルトもあるよ」とグールドのモーツァルトを聴かせてもらったのが最初です。ただそのとき僕は音大を目指してレッスンを受けていたので、真似しちゃいけない悪魔的な演奏というか、触れちゃいけない禁断の果実のような印象がありました。
特に記憶に残っているのはピアノソナタ8番イ短調の第1楽章がメチャクチャ速く感じたこと。今聴くとそこまで速くはないんですが、僕の記憶には超高速モーツァルトとして刻まれているんです。あと、とても乾いた音だなという印象も受けました。
飯尾
それはピアノの音色が?
原
そうです。同じ頃にクラウディオ・アラウか誰かのとても柔らかく響くモーツァルトの演奏を聴いていたので、その違いに驚いたんです。
グールドがもたらした新たな価値観。
飯尾
グールドを語るうえで、ある時点からレコーディングしかしなくなったことは外せません。音楽家としての彼の選択は理解できますか?
原
そうですね。僕自身、音源を作るというアプローチが中心ですから理解はできます。でもコンサートを一切しないというところまでは僕にはできそうにありませんけどね。
ただ、彼がコンサート活動をしたのはわずか7年ほどでしたが、その間にやるべきところではしっかり演奏している。とりあえず一回りはしているんですよ。やめたことばかりが取り上げられがちですが、やることをやったうえでやめる判断をした点を忘れちゃいけないと思います。
飯尾
たしかにその通りですね。
原
レコーディングアーティストとしてはまさにパイオニア。何度もテイクを重ねて編集してベストの一曲を作り上げるというやり方は、今、僕らがやっているやり方ですから。もちろん一発録りには一発録りの良さがありますが、グールドは当時からスタジオ録音の本質を理解していたように思います。
飯尾
グールドのピアノ演奏では何が一番の特徴だと思いますか?
原
クラシックのピアニストではない僕が語るのはおこがましいですが、グールド以前の演奏の美しさというのは、コンサートホールのような響きの長さ、音の柔らかさがベースになっていたと思うんです。
先ほども言いましたが、グールドは乾いた美しさ、そして近い音像という新しい価値観を提示した。さまざまな価値観をクラシック音楽に持ち込んだことが最大の特徴ではないでしょうか?
飯尾
演奏テクニックはどうですか?
原
もう完璧なタッチじゃないですか?今回聴き直した中で改めて気づいたのは、アルペジオの一音一音の粒立ちの良さだったり正確さ。あ、アルペジオってこういうことだったのかって、教えられた気分です。
ベートーヴェンの「ピアノソナタ1番」の第1楽章にはアルペジオが何度か出てきますが、出てくるたびに背筋がゾワッとしますよ。それはやはり彼の演奏技術、特に左手の演奏の素晴らしさだと思います。
飯尾
左利きであることは、彼の演奏に影響を与えているのでしょうね。
原
バッハに代表される対位法の曲の場合は間違いなく有利だと思いますし、伴奏する場合にも存在感というか説得力が違う感じがします。あくまで聴き手としての印象ですが。
飯尾
では、演奏中に彼が口ずさむハミングはどう感じますか?
原
80年代に録音されたハイドンのピアノソナタ集では、ほかのアルバムと違ってあのハミングがピアノ演奏と完璧に調和して聞こえるんです。初期に比べると録音やミックスが格段に進歩してますからそういう技術的な側面もあるとは思いますが、あの作品を聴くとハミングは決してノイズではなく、ハミングを含めた録音全体がグールドの音楽世界であり、作品なんだと感じられました。
グールドとノイズで言うと、少年時代の掃除機の有名なエピソードがありますよね。モーツァルトのフーガを練習しているグールド少年の横で家政婦が掃除機をかけ始め、掃除機の騒音でピアノの音がかき消されてしまった。しかしその瞬間にグールド少年は初めて、音楽そのものに触れられたことを実感した、という。
このエピソードは難しくて僕が正確に理解できているか自信はないのですが、自分ではピアノを弾いている実感はあるのだけれど耳から音は入ってこない、つまり指の感覚、体と音楽が一つになったんだろうと思うんです。その瞬間に純粋音楽みたいなものを感じられたのかなと。
飯尾
よくわかります。
原
それに似たエピソードが京都にあるんですよ。大原に声明の名手として知られた良忍上人が創建した来迎院というお寺があって、奥に「音無の滝」という小さな滝があるんですが、良忍上人はその滝の前で声明の稽古をしたらしいんですね。そうすると最初は、滝の音にかき消されて自分の声明が聞こえない。
でも修行を続けるうちに自分の声が聞こえるようになって声明と滝の音が打ち解け合い、そして最後には滝の音が消えて声明だけが響くようになった、という逸話が遺っています。グールドの掃除機の話を読んだときに、このエピソードを思い出したんです。
グールドは今の音楽状況を見通していたのか。
飯尾
最後に独特のレパートリーについて。ピアニストが好んで弾くショパンやラヴェルあたりをグールドはほとんど弾いていないのですが、その点についてはどう思いますか?
原
正直に言えば、あれだけ売れっ子になったんだしいろんな曲の演奏を遺してほしかったというのは思います。今回、いろいろ聴いていく中で、グールドに弾いてほしかった曲がどんどん浮かんできて。
飯尾
それはぜひ教えてください。
原
最初に思い浮かんだのが、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番ハ長調「ヴァルトシュタイン」。それからリゲティ「ムジカ・リチェルカータ」の7番もグールドの速い演奏で聴いてみたかった。
ほかにもラモーの新クラヴサン組曲集第2番(第5組曲)「ソバージュ」やモンポウ「Impresiones intimas」……、ほかにもいろいろあると思いますが。
飯尾
こればかりは見果てぬ夢ですが、想像してみるのも楽しいですね。それにしても、これまでに大ピアニストはたくさんいたわけですが、今の若い人に聴かれているという点ではグールドが圧倒的です。一体、何が違っていたんでしょうね。
原
僕が思うに、録音を作品のフォーマットとして考えた点が大きいんじゃないでしょうか。もちろんほかのピアニストの名盤もたくさんありますが、録音に対して常に意識的で、録音物を作品の中心に置いたという点でグールドは傑出していたと思います。
そのおかげで現代の聴き手は、名演の副産物としての録音物ではなく、グールドがメインで取り組んだ第一資料に手軽にアクセスできる。グールドはこのことを見通していたのではないかと、ちょっと思います。
飯尾
なるほど。とても明快な解説をありがとうございます。
原
グールドという人はクラシック音楽を違うジャンルに繋いでくれる人でもあったと思うんです。例えばクラシック音楽にはものすごくカッコイイ曲がたくさんあるんですけど、学校教育のイメージが強いのか、堅苦しいとかダサいといった印象がぬぐえない。
そういうイメージを払拭してくれる存在としても彼はとても重要だったので、わずか50歳でこの世を去ってしまったというのは早すぎた。天才にありがちな生き急いだ印象もありますが、その後の世界も見てもらいたかったですね。
〈グレン・グールド略歴〉
1939年1月:カナダ・トロントに生まれる。幼少時から音楽に天賦の才を発揮する。
1950年12月:カナダCBCネットワークのラジオリサイタルでラジオ初出演。
1955年1月:ワシントンのフィリップス・ギャラリーでアメリカ初公演。
1955年6月:ニューヨークのCBSスタジオにて「ゴールドベルク変奏曲」を録音。
1956年1月:『ゴールドベルク変奏曲』発売。ベストセラーに。
1959年8月:ザルツブルク音楽祭出演。
1964年3月:シカゴ・オーケストラホールにてリサイタル。最後の公開演奏。
1981年5月:55年と同じスタジオで「ゴールドベルク変奏曲」を再録。
1982年10月:脳卒中で死去。享年50歳。