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ベートーヴェンって、何がそんなにスゴいの?〜前編〜

苦労を重ねながらも自立した媚びない芸術家として活躍したのがベートーヴェン。死後は”芸術家も理想像”となった。2020年は生誕250周年の記念すべき年。同じ作曲家の目線だから気づくスゴさについて、作曲家の阿部海太郎さんに聞いた。

Illustration: Kanta Yokoyama / Text: Takayuki Komuro / Edit: Chisa Nishinoiri

阿部海太郎さんが語るベートーヴェンの魅力

映画、ドラマ、アニメをはじめ、故・蜷川幸雄が演出した数々の舞台で音楽を手がけてきた阿部海太郎。もともと東京藝術大学・大学院、パリ第八大学第三課程で学ぶが、専攻は作曲ではなく音楽学。小さい頃からピアノやバイオリンを習い、クラシックは身近なものではあったのだが、実はベートーヴェンのことがずっと好きになれなかったという。

「交響曲を聴いても全然肌に合わなかったですし、小さい頃に弾かされたピアノソナタも苦痛だったんです。ただ例外だったのは、第2楽章で出てくるようなゆったりとした音楽。とても美しいというだけでなく、同時代のハイドンやモーツァルトとは違う、深く、静かな美しさみたいなものには、当時から惹かれていました」

ところが30代半ばを迎える頃に突如、興味が湧いてきたという。

「きっかけとなったのは、レコーディング現場での体験でした。僕が作る曲には、演奏家に無理を強いるような難解なものはあまりないのですが、かといってラクをして弾いてほしくはない。そうした演奏家との駆け引きを経験するうちに、これまで何度も見てきたベートーヴェンの楽譜が、まったく違ったものに見えてきたんです」

具体的に、どのような発見をしたのだろう?

「僕の持論ですが、例えばベートーヴェンにとってのff(フォルテッシモ/イタリア語で“とても強く”)は、楽曲の中の相対的な強さではなく、“あなたにとって、最も強い音って何ですか?”と、問われているように感じるんです。そしてを演奏する前の緊張感には、ものスゴく深い沈黙がある。集中しているからこそ生まれてくるp(ピアノ/弱く)。僕が幼い頃に魅了されていたのは、この静けさだったのか!と気づき、腑に落ちましたね。

モーツァルト的なエレガンスを感じるpとは違う。ベートーヴェンのpには、計り知れない深さが感じられます。ほかにも交響曲第1番の第1楽章で、最後の小節はすべて休符なのになんで楽譜に書く必要があったのか?とか、考えさせられることが非常に多い。

そう捉えると、問われた方の演奏家も途端に考え込んでしまいますよね。つまり作曲家は、楽譜の中に演奏家へのメッセージを込め、問いかけているのだ、と」

ベートーヴェンの楽譜の中に、「いい演奏を引き出すためのヒントを見つけた」ともいう。

「ベートーヴェンの楽譜上の文脈を踏まえていくと、一つ一つの音符や演奏方法を指示する楽語には、言語的なメッセージが込められていると思うようになったんです。楽譜に書かれた音符をただ弾くことはできます。けれどベートーヴェンが自分の楽譜に込めたものは、単なる音符ではない。

その上に現実を超えた世界が広がっているんです。演奏家は、それを現実の身体を用いて表現しなければならない。そこに、作曲家と演奏家の見えない駆け引きがあるんです。ベートーヴェンの楽譜には、演奏家が自分の技術をつぎ込める瞬間があるからこそ、演奏しがいがあるのでしょうね」

ほかの作曲家に比べて、とりわけベートーヴェンの楽譜にこうした見えない駆け引きがあるのは、彼が生きた時代と関係があるのではないか、と阿部さんは考える。

「それまで音楽は、限られた仲間内や王侯貴族に理解されればよかったのに対し、ベートーヴェンの時代になるとパブリックな他者(公衆)と向き合い、自己の音楽を通じてやりとりしていく必要が出てきたんです。そしてベートーヴェンにとっての最初の他者が演奏家なんです。だからこそ、まず楽譜に質的な違いが表れているのではないでしょうか」

ベートーヴェンは18世紀と19世紀をまたにかけて活動した作曲家。18世紀までの西洋では教会や宮廷といった場所に権力が集中していたが、18世紀末にフランス革命が勃発。ヨーロッパは疾風怒濤の真っただ中にあり、世の中が貴族中心から市民中心へと移り変わる、まさに激動の時代をベートーヴェンは生きたのだ。

「演奏家をどうやって楽しませつつ、アジテーションもしていくのか……簡単にいえば、ベートーヴェンは演奏家に“やる気”を出させるのがうまいんです。僕自身が録音の現場をたくさん経験したことで、そうした視点が持てるようになり、ベートーヴェンの音楽に興味が湧き、作曲家として多くのことを学びましたね」

最後に阿部さんは、自身のベートーヴェン観に影響を与えた存在、演出家・蜷川幸雄のエピソードを語ってくれた。

「蜷川さんの舞台の音楽を何度か手がけたことがあるのですが、ベートーヴェンと蜷川さんは似たタイプだと思うんです。ベートーヴェンが演奏家に負荷をかけるように、蜷川さんも俳優に同じことを課するんです。役者がラクをして自分の得意なやり方で演技すると大激怒していました。

例えば、命からがら逃げてきた伝令が王に戦況の報告をする場面で、若い役者の演技が気に入らず、“駅から劇場まで走ってこい!”と怒鳴って劇場の外から舞台袖まで走らせたことがありました。ベートーヴェンが演奏家に求めているffやpp(ピアニッシモ/とても弱く)も一緒で、単なるテクニックではなく、真剣さが求められているんだと思います。蜷川さんの存在が僕のベートーヴェン像に影響を与えているのは間違いないですね」

ベートーヴェン クラシック ブルータス