翻訳家・柴田元幸が、800ページに及ぶ大著を通して見たものとは
「ニューヨーク三部作」などで知られるアメリカの作家ポール・オースターが、昨年惜しまれつつ逝去したのも記憶に新しいところだが、それから半年ほど経った昨年11月、オースターの最後から2番目の長編小説となった800ページにも及ぶ大著『4321』の日本語版がいよいよ刊行された。
オースターと同じく1947年にユダヤ人の家庭に生まれ、激動の60年代に青春期を迎える主人公アーチボルド・ファーガソンのビルドゥングスロマン(成長小説)なのだが、読み進めていくうちに、これが驚くべき仕掛けによって書かれたものであることに気づく。その驚きは、89年訳の『幽霊たち』以来、オースターを日本に紹介してきた、『4321』の翻訳者、柴田元幸氏にとっても同じであったようだ。
「原稿が送られてきた時は、何も予備知識はないわけですよね。読み始めたら、これはどうなっているんだろうと、とにかく驚いてしまって。小説の舞台とか登場人物のタイプとかはこれまでとそんなに変わらないんだけど、そこからどういうふうに小説を組み立てるかは、彼がこれまでやったことのないようなものだったので。それについて具体的に話せたらいいんですけど、ここが一番読者に自分で見つけてほしいところでもあるから、あまり詳しく言えないというジレンマがあります。ただ、その仕掛けに気づいて、オースターが70歳近くになっても、人生のまとめに入ったというより、ちゃんと新しいことをやろうとしているんだとわかって、驚くと同時に勇気づけられもしました」
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また、柴田氏は、オースターが新しく試みたのはそれだけではないと言う。
「センテンスが確実に長くなっています。『ニューヨーク三部作』の頃は、骨組みだけ語るという感じの削ぎ落としたスタイルだったのが、今回は、何もかも語っておきたいというような切迫感が感じられます。『4321』の次の作品は、スティーヴン・クレインという19世紀の小説家の評伝で、そちらも同じくらいの大著なんですが、そこでもクレインの人生と作品の両方について、余すところなく語り尽くそうという気迫がある。70歳前後で、800ページ前後の作品を2冊出したんですから、本当にすごい」
一方で、オースターは、『ムーン・パレス』など、この激動の60年代を何度も取り上げてきた。そのような意味では、『4321』はオースターのこれまでの「集大成」的作品のようにも見えるのだが、なぜ60年代なのか。
「オースター自身も、主人公と同様、60年代に10代後半から20代前半を過ごしたわけですが、そんな若者にとって60年代は最高に刺激的な時代でした。ベトナム戦争で国が2つに割れ、暗殺や暴動も頻発して、痛みも大きかったわけですが、経済は右肩上がりだったし、まだ未来が信じられる時代でもあった。未来に希望を持てない今の若い読者からすると、一見、昔は良かったっていう話かよと思えるかもしれませんが、“良かった”だけでは済まない部分にもオースターは切り込んでいると思う」
では、時代はどこで大きく変わったのか。
「村上春樹さんが、2001年に“9・11”(アメリカ同時多発テロ)が起きてから、アメリカ人は今の自分たちの現実は本当の現実じゃないような感覚を持っているんじゃないかと言っていて、それは本当に説得力があるなと。とにかく、あそこで違う世界に入ってしまった、みたいな思いというのはあるかもしれないですね。それが10年くらい経って、だんだん物語の中にも自然に出てくるようなところまで熟してきたのかなという気がしないでもない」
それは、『4321』の斬新な形式を読み解くうえでのヒントにもなるかもしれない。800ページというボリュームではあるが、そこには、60年代同様、目くるめく豊穣な読書体験が確実に待っているはずだ。
柴田氏は、現在オースターの遺作となった『バウムガートナー』を翻訳中で、今月発売の『MONKEY』誌でも一部紹介されるが、年内には書籍として刊行予定とのこと。スティーヴン・クレインの評伝も含め、今後の柴田氏の訳業がますます楽しみだ。