「ちょくさい先生」。
映画監督の小津安二郎が、敬愛する作家・志賀直哉を、親しみを込めて呼んだ名だ。
「洗い上げた美しさの志賀文学は好きでもあり、尊敬しています。とくに志賀さんとは親しいが、映画はおのずと分野が違うんで、きっちりした簡素な画調であの境地まで行き、映画での洗い上げた完成美をつくり出したいとは思う」(『わたくしのクセ』より)
2人が実際に出会ったのは、小津の戦後第1作『長屋紳士録』(1947年)の試写会のあとの座談会「映画と文学」である説が有力。その後、志賀は小津の映画の試写会に足を運び、批評を執筆したり、座談会に出席したりして親交を深めた。
志賀の小津作品に対する批評は的確だった。『お茶漬けの味』の座談会では次の感想を述べている。
「非常に面白かった、一番感心したのは画面が清潔できちんと整理されていてとても美しく感じた、そして何よりもいいと思ったことは、後味が非常に気持ちが好いことだ」
また、梅原龍三郎と小津と志賀の3名の座談会「『秋日和』を語る」においても志賀は作品の真髄を突く。
志賀
それからカメラの位置が大へん低い。すわっている人物と同じ高さで写しているのがめだった。
梅原
志賀さんは、よく映画を観ているから細かいところまでよく気がつくんだ。
小津
こわい批評家ですね(笑)。
志賀
あの位置は非常にいい。あれで全体がきちんとするんじゃないのかな。
小津作品を語るうえで欠かせない「清潔な画面」や「カメラ位置」を、映画通であった志賀は見事に見抜いていた。よき批評家でもあったのだ。小津映画には志賀小説の影響が多く見受けられるが、一番色濃く表れているのは『暗夜行路』である。小津がこの本に触れたのは戦地に赴いている最中だが、受けた衝撃の大きさが当時の日記に表れている。
「この二三日前から暗夜行路を読む。岩波文庫で、前編は二度目だったが後編ハ始(初)めてでも激しいものに甚だうたれた。これハ何年にもないことだった。誠に感ず」
『暗夜行路』は小津によって映画化されることはなかったが、『風の中の牝鷄』は志賀の影響を多分に受けていると指摘されている。この映画の最大のテーマは、子供の病気のために身を売る妻を夫がどう受け入れるかという問題。
これは『暗夜行路』の後半で、主人公が身内(母と妻)の不貞をどう赦していくかというテーマと重なる。小津の代表作『東京物語』やその他の作品の背景にも、志賀の存在が感じられる。
小津は、尊敬する志賀の全集に向けてこんな推薦文を執筆している。
「志賀先生にお目にかかると、いつも、それからしばらく、なんとも云へない爽やかな後味がのこって、僕の心のどこかを、涼しい風が吹き抜けます(後略)」
小津作品の後味の爽やかさや清潔感は、憧れの存在であり、よき批評家、年の離れた友人である志賀の影響抜きには語れないのだ。