やればやるほど
ドツボにハマる
2019年8月31日。多くの小学生が夏休みを終える日、ぼくは自由研究を発表するためのインディーズ雑誌『つくづく』を創刊し、同時に休刊を宣言した。
のっけから意味がわからないと思うが、そうした実験精神こそ自由研究的なんじゃないかと考えている。
「自由研究をテーマにした雑誌をつくろうと思う」と周りの編集者に告げたところ、意外とみんなもやっていることがわかった。
プロレスが好きで、そのメカニズムを理解するため、プロを輩出する養成所へ入門。しかし、卒業生で唯一その道に進まず、草プロレスラーとなった男性。映像メディア学の博士課程で「紙芝居表現論」の研究を行う傍ら、霜降り明星・粗品のフリップ芸を研究する学生。マッチングアプリの“ヤリモク”アカウントを凸ってBANする女性。世の中には様々な自由研究のテーマがあり、誰もが採算度外視、つまり趣味としてたのしんでいた。
僕自身、編集・ライターという職業柄か興味や関心の幅は広い方だが、そのすべてを記事にできるわけではない。しかし、仕事にならなくとも個人的探究は続いていく。その成果を発表する場として、また自分の雑誌を出すことが長年の目標だったこともあり、個人での雑誌創刊に至った。
雑誌とは、定期刊行物である。なのだが、創刊号でやりたいことを出し尽くした結果、続けられる気がしない。そこで思いついた言い訳が「創刊と同時に休刊宣言」である。
出してみれば「ほんとうに休刊するんですか?」といった反応もあり、記念に取り扱ってくれた書店の主や寄稿者、読者による“褒めオンリー”のPR誌『自家中毒』を刊行。
なぜかそこで勢いづき、noteでしれっと復刊を宣言。個人でも簡単にECサイトを開設できるサービス〈STORES〉自体を3号目の『つくづく』と言い張ることで、おかしな実験を続けながら今に至る。
ざっと挙げてみれば、他社の出版物を雑誌の付録としたり、タオルに文章を印刷した本をつくってみたり。撮影済みのインスタントカメラを現像せず、そのまま販売したこともある。
代官山蔦屋書店でフェアを開催したときなど、『つくづく』vol.17(特集:東京都渋谷区猿楽町17-5 代官山蔦屋書店2号館 1階 マガジンストリート)と、フェア自体を雑誌と言い張った。
およそ雑誌と呼べないバックナンバーは、枚挙にいとまがない。しかし、そのすべては「雑誌とはなにか」を考える自由研究の一環なのだ。そして、ここまで続けてこられたのは、大人の自由研究がある種の「言い訳」として機能するからだろう。
儲かるわけでも、名声を得られるわけでもない。誰のためかと聞かれたら、自分のためとしか答えられない。知りたい、試したいという個人的な欲求に突き動かされた実験の数々。発表するもしないも、あなたの自由。もちろん、公序良俗に反する行為でなければ、だが。