タイ・バンコク、街の息遣いを確認する旅〜前編〜

完成度の高いものより、生々しく粗削りなものを見たい。文化が盛り上がる過程に触れたい。目いっぱいの刺激を受けたい。そんな欲望を持ってバンコクに行った。

Photo: Satomi Matsui / Text: Yumiko Sakuma

昔NY、ブルックリンにあった
エネルギーが、この街にある

4年前に軍事クーデターが起きた。国民からこよなく愛された前国王ラーマ9世が亡くなり、昨年、1年間の喪が明けた。そして今、表現者たちの、そして若者たちのエネルギーが爆発している。そう聞いてバンコクを目指した。飽きたら島にでも行けばいい、そう思っていたのに島には辿り着かなかった。

夜ごと街の至るところで行われるアートと音楽のイベントに、ハイとローが絶妙に混ざり合って作り出すエネルギーに夢中になってしまったから。「昔のブルックリンを思い出すだろう?」、バンコクに流れ着いた人たちが言う。まだ開発途上の、ルールや整備が完全でない大都会が巨大なキャンバスのように使われている。粗削りだけれど生々しい文化の萌芽が開花し、成熟しようとしている。きっと今しか味わえないだろう刺激のジュースに、心の目が開いた。

多様な音が
バンコクの印象を変える

日本人には馴染みの深いバンコクにとりたてて興味があったわけではなかった。イメージとしては、タイの島への中継地点、EDMのパーティシーン、セックス業界、ゴー・ゴー・バー、といったところだろうか。表面的にはピカピカした高級なものとストリートフードに代表される「ロー」のコントラストや、レタッチされ放題の女優のつるりとした広告写真が光り輝く姿ばかりが目に入ってくる。

そんな印象を一瞬で変えてくれたのは〈スタジオ・ラム〉でムランといわれる北タイの伝統的な音楽に現代的なアレンジを加えたバンドを見た時だった。今、タイの音楽シーンが面白いことになっている。その案内人たちは、欧米の洗礼を受けたクリエイターたちだ。

イギリスでDJの活動を始め、帰国して〈スットレーンマー・レコーズ〉に拠点を構えたDJマフト・サイがトン・ロー地区の片隅で民族系ファンクを中心にかけるハコ〈スタジオ・ラム〉からタイの民族音楽の新しい解釈を発信している。レーベルを立ち上げ、自らもバンド〈パラダイス・バンコク〉の一員として若い世代に土着の音楽をヒップに料理することが可能なことを示している。

「始めた頃は、誰もムランを聴いてなくて“タクシー運転手音楽”なんて言われたりしたよ。でもいつしかだんだん人が集まるようになった」音楽軸の反対側では、これまでニッチだったヒップホップが、爆発しつつある。

人気ヒップホップユニット〈タイタニアム〉のブレイクとともにバンコクに渡ったタイ系アメリカ人でMCのWayやDJブッダ、そしてその周りを囲む〈バンコク・インベーダーズ〉という70人以上のDJクルーが、日々、街のどこかのパーティでパフォーマンスしている。

アジアのヒップホップが熱い、とアジアのメディア〈88ライジング〉の進撃が教えてくれるけれど、比較的近年になってヒップホップを発見したクラウドが、バンコク版ヒップホップに熱狂的な渇望を見せる姿は呆然とする迫力だ。

ライブハウスや「ギャラリー&カフェ」と呼ばれる音楽とアートのハコがいくつもある。夜ごと、街のどこかで、欧米、オセアニア、アジアのほかの地域からやってきたミュージシャンたちが地元の才能と対バンしている。音楽とアートの距離感は近い。

アートのイベントに行けばパフォーマンスに遭遇し、音楽のイベントにはアートのスペースが用意されている。粗削りで生々しいけれど、表現へのハングリーさを感じさせる作品に出会う。それぞれの地域で、この手のハコの周りに、地元のクリエイティブ、帰国組、海外から来たアーティストやミュージシャンが集まってコミュニティができている。

「あそこで明日面白いイベントがあるよ」、出かける先で耳にする情報を数珠つなぎのように追っていくだけで、バンコクの長い夜を目いっぱい楽しめる。「リーというギャラリストが面白いスペースをやっている」。そんな話を耳にしてフアラムポーンに足を延ばした。オーストラリアでアートを勉強して帰国したリーが、フランス人の友達のデザイン事務所の地階を手作りで改装した〈スピーディ・グランマ〉というギャラリー。

オープンした当初、隣にはオールナイト営業の違法カジノがあった。「だったら展示のたびに夜、音楽のイベントをできると思った」
違法カジノは閉店し、音響システムを盗まれたから、音楽の夜を開催できなくなった。代わりに今は、別のエリアの「ギャラリー&カフェ」たちを巻き込んで超DIYのアートフェア『バンコク・ビエンナーレ』を主催している。

東側に戻ると、〈バンコク・シティシティ・ギャラリー〉がある。バンコク出身のグラフィティアートのクルー〈Souled Out Studios〉や、映像作家として国際的に注目されるコラクリット・アルナーノンチャイと一緒に育ってきたコミュニティのハブだ。

2018年9月には第2回『バンコク・アートブックフェア』を開催し、10月には国際規模の『バンコク・アート・ビエンナーレ』が行われるタイミングに合わせて、コラクリットとともに『ゴースト』と題したイベントを開催するという。「みんなが好き勝手に自分のやりたいことをやる、それがバンコク流」と、〈スピーディ・グランマ〉のリーが笑っていたことを思い出した。

ZudRangMa Records

ロンドン仕込みのDJ、マフト・サイのレコード収集が高じて生まれた。レーベルの基地でもある。買い付けからグッズのデザインも本人が。接客担当は若いDJたち。タイ民族音楽のヴィンテージ盤、所属バンド〈パラダイス・バンコク〉などを取り扱う。

WTF

飲み屋かと思えば2・3階はギャラリー。店名は水木金や「Will Trumps Fate」など複数のフレーズから。

Studio Lam

マフト・サイが友人と始めたパーティが店になった。ライブパフォーマンスも。

今アツいと評判のバンコクのヒップホップシーンを盛り上げるのは〈タイタニアム〉の一員でタイ系アメリカ人のWayとアメリカから来たRadio3000。日常的にライブに出演する。

Radio3000

Speedy Grandma

オーストラリアから帰国後、リーが友人のフランス人と手作りした、フアラムポーン路地裏のDIYギャラリー。夜ごとの音楽イベントで知られていたが、機材を盗まれて今はアートのみ。が、リーのおかげで周りに少しずつギャラリーやレストランができるように。名前は、タイの田舎に伝わるバイクに取り付くおばあちゃんゴーストの都市伝説からとったのだとか。

Bangkok CityCity Gallery

アートと無縁だったビジネス街サトーンの一角に2015年にオープンしてまたたく間に現代アートの雄になったギャラリー。オーナーは映像作家でコレクターでもあるオプと政府系アート機関で働いてきたスパマスのカップル。これまでの3年間、タイ人のアーティストだけを見せてきた。2017年から9月に『バンコク・アートブックフェア』を開催している。