Talk

Talk

語る

写真家・奥山由之が語る、東京と僕。「複雑に混じり合って生まれる、中途半端な街の“皺”」

東京生まれだけでなく、地方から出てくる人にとっても、東京は特別な街となり、それぞれが抱いている原風景がある。ブルータスの創刊者・木滑良久を筆頭に東京を体現する男性たちに数珠つなぎで話を聞きに行ってみた。

Illustration: Shuichi Hayashida / Text: Kosuke Ide

世田谷で生まれ育って、今も実家の近くにある祖母が住んでいた家をアトリエとして使っています。以前、原宿に仕事場を作ったことがあったのですが、なぜか気持ちがピリピリしてしまい、落ち着けなかったところがあって。この多摩川に近いエリアが、やっぱり自分の人生の軸になっているのかなと感じています。

多摩川は自分にとっての東京の原風景といえるかもしれません。神奈川県にある中学、高校、大学に通っていたので、通学の電車からいつも多摩川の風景を眺めていました。思春期で、納得いかないことや思うようにいかないことも多く、自分に対しても様々な苛立ちがあったりして。

そんな時に、夕暮れの光に照らされている川や、そこで遊ぶ子供たちの姿など、その穏やかな日常の光景に対して、憧れのような、複雑な感情を持って見ていたことをよく覚えています。そうした鬱屈した気持ちが、後に自分を写真へ向かわせてくれた理由でもあるのですが。

僕にとっての東京のイメージは、特定の場所というよりも、やはり光とそれが生み出す風景ということになるのだと思います。

多摩川 河川敷 イラスト

以前、ロンドンと東京で撮影した写真を収めた『THE NEW STORY』という写真集を制作した際、写真家のホンマタカシさんに寄稿していただいた序文の中で指摘していただいたことがとても印象に残っています。

東京は建物も人も密集し、都市計画も整理されておらず混沌としているので、光が地面に到達するまでに色々なものに何度も反射して、diffuse(拡散)されて届く。僕の写真には、ロンドンで撮ったものにもそうした“東京の光”を感じる、というような内容で。

考えてみれば、確かに外国で自分が撮ってきた写真を見てみるといつも、「東京でも撮れる」みたいな写真ばかりだなと。つまり、普段、東京で見ている光を外国でも探しているのかもしれない。自分が撮りたいと思っているものに、後から気づかされるという体験でした。

写真家なら誰でも、作品の中に自分の個性をどう宿せるのかを考えていると思いますが、あえて「東京らしく」などと意識する以前に、東京で生まれ育った自分の視点や感性みたいなものが自然に反映されているのだ、と気づかされました。

東京は実際の土地もまた複雑に混ざり合った、中途半端な場所が多いなあとよく思います。古さも新しさも、あらゆる文化を呑み込んでいくようなパワフルな場所である一方で、その分、無理が出てしまったり、歪になってしまっているような部分がたくさんあって。

強引に整備した道路がヘンな形をしていたり、あり得ないような奇妙な位置にミラーがあったり。常に変化している街だから、工事中のエリアも多い。「トマレ」という標識の字が仮のテープで貼られてあったり。『君の住む街』という写真集には、そんな場所の写真を多数収めています。

そういう中途半端な“仮”のような場所って、個人の表情が垣間見える景色だと思うんです。色々な人のそれぞれの事情があって、とはいえ、誰にも悪い顔はできなくて、生まれてしまった風景。それって日本人の姿そのままだなと。その何ともいえない、街の「皺」のような風景に可愛げがあるなあと思いますね。