Talk

Talk

語る

スタイリスト・山本康一郎が語る、東京と僕。「街で遊ぶ中で、独自の“クセ”を持った先輩たちに出会えた」

東京生まれだけでなく、地方から出てくる人にとっても、東京は特別な街となり、それぞれが抱いている原風景がある。ブルータスの創刊者・木滑良久を筆頭に東京を体現する男性たちに数珠つなぎで話を聞きに行ってみた。

Illustration: Shuichi Hayashida / Text: Kosuke Ide

父が役者だったので、撮影所のある京都で僕は生まれましたが、すぐ東京に移って、その後はずっと東京で育ちました。小学校低学年の頃、それまで住んでいた代々木上原の邸宅から白金台のマンションに引っ越したんです。お屋敷で運転手やお手伝いさんがいるような生活から一転して、2LDKのマンション暮らし。

当時、通っていた慶應幼稚舎は6年間ずっとクラス替えがないので、同級生の家族の歴史なんかも全部、知られちゃうんです。テレビのドキュメント番組を見てるみたいな感じで(笑)。友達から気を使われたりすることもあって、それがちょっとツラいなと感じる時もありました。

だけど、住む環境が変わると、やっぱり出会う人も変わるんですよね。学校の友人とは別に、地元で、後に暴走族に入るような子たちとも友達になった。当時よく遊んでいたのが、今の東京都庭園美術館の場所にあった〈白金プリンス迎賓館〉のマーブルプール。

その名の通り大理石でできたプールで、今はもう埋め立てられてしまったんですが、毎日、いろいろな人間が遊びに来ていた。俳優やミュージシャンもいれば、ちょっと怪しげな職業の人なんかもいたりして。そんな場所に、小学校高学年くらいから出入りしていました。

白金プリンス迎賓館のマーブルプール イラスト

中学生の頃は暴走族が流行っていて、僕もグレたわけではないけど、その手の場所に出かけるようになって。だけど、それから2〜3年経つと、そこでかっこいいなと思っていた先輩たちが次々といなくなってしまった。どうしたんだろうと思っていたら、仲間から「今、モテるのは六本木らしいよ」という情報が入って。

さっそく行ってみたら、まさしく『サタデーナイト・フィーバー』の時代で、アイパーだった先輩が髪を伸ばして、ディスコで楽しく踊ってた。僕もすぐそういう場所で遊ぶようになったんですが、そこで知り合った人から、雑誌『POPEYE』のライターをやってみないかと声をかけられた。

別に原稿を書きたかったわけじゃないけど、何となく面白そうだなと思って始めてみたら、編集部にすごい人がいっぱいいたんですよ。みんなそれぞれ独自の“クセ”を持った大人が。とんでもなく建築に詳しかったり、テニスに詳しかったり、インドに詳しかったり……それまで僕もアロハシャツやヴィンテージには詳しい方だと思っていたんですが、彼らはレベルが違う。

そんな先輩たちを知って、それなら僕は「詳しい人に詳しくなろう」と思った。それ以来ずっと、自分はそんな人間の“クセ”に興味を持ってやってきたような気がします。

やっぱり東京って、人の“クセ”にめちゃくちゃ出会える場所だと思うんです。全国各地から、例外的な個性を持った人が集まってきているわけで。だから東京にはハイ&ローの幅があるし、その間の「グレーゾーン」が多い。

ここにいて暮らしているだけで、毎日、びっくりしたなあ、いい話があるんだなとか感心したり、かと思えばとんでもない大嘘に出くわしたり。そういう、自分以外の誰かの考え方やものの見方を知ることで、自分の足りていない部分がわかったりするし、幅も広がる。こんないい“道場”って、ほかにないなと思うんですよね。