「確認する山旅」より「想像する山旅」の方がずっと自由で、面白い
装備を軽くし、長い距離を快適に歩こう。「ウルトラライト」なスタイルを提唱する登山道具店〈ハイカーズデポ〉店主の土屋智哉さん。実は自他ともに認める奥多摩・奥秩父愛好家。この広大なエリアを、どうしたら楽しく歩けるのか。
「とりあえず、ネット検索をやめてみる。今って、検索ワードを入れたらズバリの答えがぽっと出てくる。このルートがおすすめとか、ベストコース10とか。インスタントでいいんだけど、そこには自分で“考える”作業って、全くない。提示されたルートを登って、下りてくる。それって僕は“確認する山旅”だと思っていて、すごくつまらないと感じるんです」
昨今の登山人気のおかげでガイドブック類が豊富に揃う中、あえてそれを捨てろというのは、かなり斬新な発想だ。
「全部捨てろとは言いません。ただ情報へのアプローチの仕方をちょっと変えるだけで、登山はもっと面白くなる。手っ取り早いのは、昔の人が書いた山の紀行文を読むこと。今のガイドブックはAから山頂まで何時間で、ちなみに駅から登山口まではバスで何分ですよとか、懇切丁寧に書いてある。
でも昔の紀行文は個人の日記みたいなものだから、そういう情報は一切ない。このルートが面白そうだと思ったら、そこから先は自分で調べなきゃいけない。それって面倒くさいけど、その過程で偶然別の面白い情報に出くわしたりして、また調べて。どんどん想像力が広がっていくんですよね」
これを調べていたはずが、脱線してこっちに来てしまったという感じは、「ネットサーフィン」をする感覚にも似ている。
「まさにそう。それを書物ベースでやると、さらに漂い感が増して、山のいろいろな面が見えてくる。これまで山頂しか見えてなかったのが、谷や峠、歴史や文化とか。山を切り取るテーマなんて無数にあるし、何を面白いと思うかなんて人それぞれでしょ。そこの違いがセンスであり、想像力だと思うんです」
「どこの山がおすすめ?」的な質問はもはや愚問。自分で歩く山を自分で選べないなんて、山を楽しむ以前の問題。
「例えば洋服とか時計を買うとき、少なからずそのブランドの歴史とかバックグラウンドみたいなものって気にしますよね。自分が好きなものならなおさら熱心に調べるでしょ。山も同じで、自分が歩く場所の歴史とか背景を知った方が絶対面白いし、愛着だって深まる。その作業こそが、登山を面白くするんです」
ガイドブックを捨てて、「想像する山旅」へ出る。そうすれば、奥秩父のごとく懐深い、楽しい山の世界が待っている。
古い道ー天平尾根(でんでえろおね)
昔のガイドブックを読んで
王道から逸れてみる
「古いガイドブックには、今は注目されなくなったルートが紹介してあって面白い!」。例えば東京都の最高峰・雲取山(くもとりやま)は、鴨沢ルートから登るのが最もポピュラー。しかし某古書ガイドブックを見てみると、おすすめルートは歩行時間が倍以上ある天平尾根(でんでえろおね)ルートとなっている。実際に歩いてみると、これがなんとも渋い名ルートだったりするから驚きだ。「一度登った山でも、マイナールートから再登すれば、まったく違う魅力を感じられるのです!」
川と水ー笠取山
毎日飲んでいる「水」の
最初の一滴を辿る
東京・埼玉・山梨・長野の1都3県にまたがる奥多摩・奥秩父は千曲川(ちくまがわ)、荒川、笛吹川、多摩川の4河川の水源域。つまり関東甲信地方に暮らす人々の水がめということ。奥秩父の笠取山付近にある分水嶺では、東側に降った雨は関東平野を潤す荒川へ、西側に降った雨は甲府盆地を通って富士川へ、南側に降った雨は奥多摩の森を経て多摩川へ注ぐ。「自分の町を潤す水の最初の一滴。歩いて飲みに行けば感慨もひとしお。山と人とのつながりを感じられます」
伝承ー三峯神社〜雲取山
山岳信仰を学んで、
神様の居場所を探る
雲取山へ登る秩父側の登山口・三峰には、オオカミを神の使いとして祀る三峯(みつみね)神社がある。大口真神(おおぐちのまがみ)と呼ばれるこのオオカミは、1905年に日本での絶滅が宣言されたニホンオオカミのこと。かつてオオカミが生息していた奥多摩・奥秩父では、キツネなどから農作物を守る存在としてオオカミを敬ってきた。「身近な山にかつてオオカミが棲(す)んでいたこと、その信仰が今も息づいていることを知って、奥秩父の山にオオカミの気高さを感じるようになりました」