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村上春樹作品と私:建築家・西沢立衛が『雨天炎天』を再読

本を再読することは、新しい気づきを与え、人生の変化を感じさせてくれる素晴らしい体験だ。村上作品とともに歩んできた建築家・西沢立衛さんが、大切な一冊を読み直して感じたこととは?

初出:BRUTUS No.948『村上春樹(上)「読む。」編』(2021年10月1日発売)

text: Rio Hirai

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「どこにもない場所」を描く旅行記

若い頃、海外出張に行く際に空港の書店でふと手に取ったのが『雨天炎天』でした。当時はよく村上さんのエッセイを旅先で読んでいた記憶があります。『ポートレイト・イン・ジャズ』や『Sydney!』などほかにもいくつも読んできました。

村上さんのエッセイが好きだった理由の一つは、ユーモアがあることです。それは当時も今も変わらない感想ですね。今回再読してやはり面白いなと思ったのは、次々と疑わしい人々が登場してくるところ。トルコ編は最初から最後まで批判と文句が続いてすごいのですが、読んでいて嫌な気分に全くならない。

むしろ楽しくて、爽やかな解放感を覚えます。村上さんのエッセイの「善も悪も面白いこととして綴るところ」は、上方落語にもつながる世界のように感じました。

あと、物事を情感豊かに見る面と物質的に見る面が同時に現れてくるところも非常に興味深いです。『雨天炎天』は2章構成で、舞台はすべて実在する場所ですが、村上さんが描くアトス半島や、トルコ編に出てくる黒海沿岸や国道24号線、それらはどれも、いわば小説に登場するような「どこにもない場所」であるような印象を受けました。

僕の印象にすぎませんが、現実に巻き込まれて大変な目に遭う村上さんと、現実を外側から見る村上さんの2人が一緒に旅しているように読み取れ、それが「どこにもない場所」に感じさせる一因なのではないかと思います。

この機会にほかのエッセイも読み返してみたのですが、『Sydney!』でもやはりオリンピックの人々の苦闘を応援する面と現実(虚構の祭典)に批判的な面が共存していると感じますし、『ポートレイト・イン・ジャズ』は和田誠さんの絵と村上さんの文章と装丁が融合して、現実には決して存在しない、夢のような世界が創造されています。

そう考えると僕は村上さんのエッセイをいわば小説のように読んできたのだなと、今回再読して気づいた新たな発見ですね。

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