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建築家・西口賢が幼い頃に遊んだ山を、両親の終の住処に溶け込ませる

自分にとって心地がよく快適な場所とは、どんな空間なのだろう。必要なものだけに囲まれる心地よさ。時の流れがゆったりした場所で過ごす豊かさ。自由で気持ちのいい居住空間には、魅力的な住まい方のヒントがある。建築家・西口賢さんがご両親からの依頼に10年かけて設計したという、母・直子さんの住まいを訪れた。

初出:BRUTUS No.984「居住空間学2023」(2023年5月1日発売)

photo: Keisuke Fukamizu / text: Toshiya Muraoka / edit: Kazumi Yamamoto

暮らす人:西口直子(建築家・西口賢の母)

現代の民家はどうあるべきか。家の中に、里山が広がる

両親から終(つい)の住処(すみか)となる家を設計してほしいと依頼された。要望は特になく、設計に関しては「お任せ」だった。

ならば自分の考えを実践する格好の機会と捉えた建築家・西口賢さんは、自身が子供の頃に遊んだ近くの山の風景を取り込むことを思いつく。頭の中では、建築写真家・二川幸夫の著作『日本の民家 一九五五年』に掲載されている古い民家と比べて「過去に自分が設計したモダンな建築が負けている」という思いと、文化人類学者・レヴィ=ストロースのブリコラージュの思想が繋がっていた。

ブリコラージュとは、そこにあるものを寄せ集めて何かを作ることを指し、かつての民家は、それぞれの土地の材料を使って造られていた。西口さんは、造園の手法を建築に取り入れることで、この2つの思想を融合させようと試みる。

敷地内は、外、半外、半内、内と円を描くように設計され、“山”と家の境界は曖昧になっている。造園と建築の交わるところ、つまりケヤキの大黒柱と大きなガラスが接するような箇所に、大工の技術力が表れるという。

手仕事の復権もこの家の目指したところだろう。自然素材を多く用い、かつて民家で常用された素材である杉皮を室内の壁に張り、御影石のベンチを据えた。


この〈大地の家〉のある愛知県岡崎は御影石の産地であり、幼少期に過ごした山には、切り出された石の、使われなかったものがそのまま転がっている。雨に打たれ苔むした御影石を山から運び、そのまま中庭に置いた。石のくぼみには降った雨がたまり、その水を飲みに野鳥がつがいでやってくるという。

曇り空からわずかに差した光が、家の中にコナラの葉影を作りだした。住宅地に建てられ、隣に小学校があるにもかかわらず、山の静けさに満たされているよう。キッチン脇の土間には室内ながらヤマモミジが植えられ、春の芽吹きを待っていた。

施主である母の直子さんに住みづらくないかと意地悪な質問をすると「いや、まったく。夏は、風が抜けるようになってますしね。少し変わった家ですけど」と笑った。

建築家が自身の幼少期を肯定するように、毎日のように遊んだ山の景色を取り込み、両親が暮らしやすいようにと風の抜け、採光を考え抜いた家。2023年に亡くなった父は、「この家が自分の誇りだ」と言っていたという。