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ニッポン洋食クロニクル。開国からレトロブームまで、150年の洋食物語 〜後編〜

トンカツ、オムライス、ナポリタンといった洋食は、ニッポン生まれの料理。南蛮貿易の時代から令和まで、洋食が辿った歴史を、国内外の食文化や歴史に詳しい、郷土料理研究家・青木ゆり子、生活史研究家・阿古真理、文筆家・井川直子の3人が紐解く。前編はこちら

illustration: Jose Franky / text: Yuko Saito

常連客のリクエストから、幾多の洋食メニューが誕生

井川

老舗の洋食店の方に話を聞くにつけ、昔のお客さんって、すごく注文を出していたんだな、と。あれをご飯にのっけてとか……。

阿古

たしかに、それで生まれた洋食は、すごくありますよね。卵とご飯を混ぜてオムレツにした〈煉瓦亭〉のライスオムレツは、スタッフがオムレツの練習用に作って食べていたのを、客が所望したのが始まりだと聞きました。ちなみに、ケチャップライスを卵でくるんだ今の形にしたのが、大阪〈パンヤの食堂(現・北極星)〉(7)です。

1922年に創業した〈パンヤの食堂〉外観
(7)〈パンヤの食堂〉として1922年に創業。手頃な価格で大繁盛した大阪の洋食店。

井川

そもそもパン皿にライスという型が生まれたのも〈煉瓦亭〉。ご飯を頼まれ、茶碗も変だし、と。

阿古

そうした店のシェフや客だけでなく、料理研究家など、さまざまな人たちによって、洋食が少しずつ浸透していくんですね。

青木

明治後期には、日本初の食堂車(8)が誕生。洋食がメニューに採用されています。

日本でビーフステーキやオムレツ、パンなどが提供された黎明期の食堂車内
(8)ビーフステーキやオムレツ、パンなどが提供された黎明期の食堂車内。photo:国会図書館ウェブサイト

阿古

同じ頃、家庭にも入ってきます。日本にも産業革命が起こって、中流と呼ばれる家庭が増えていくんですけれど、そこで主婦たちが雑誌などを読んで、洋食を作り始めるんです。中でも人気が高かったのが、三大洋食と呼ばれるカレー、トンカツ、コロッケでした。

井川

明治時代の家庭料理の人気ナンバーワンがコロッケだって聞いたことがあって、驚いたんですが……。

阿古

明治24(1891)年に創刊された女性誌『女鑑』で、すでにカレーやコロッケなどのレシピを紹介しています。大正時代に創刊された『料理の友』や『主婦の友』では、洋食のレシピがコンスタントに発信され、マーケットこそまだ小さいものの、洋食は、お店でも家でも食べられるものになっていくんです。

井川

女性誌の力って、今も昔もすごいんですね。

阿古

百貨店の食堂(9)が果たした役割も大きいと思います。大正時代の中頃、百貨店がターゲットを中流のファミリー層に定め、彼らの憧れである洋食に力を入れるんですね。

御子様洋食(のちのお子様ランチ)が登場した頃の百貨店の食堂の様子
(9)御子様洋食(のちのお子様ランチ)が登場した頃の百貨店の食堂の様子。photo:国会図書館ウェブサイト

井川

百貨店の食堂は、洋食の歴史において、とても重要な役割を果たしているのに、現在、ほとんど残っていないのがとても残念です。

阿古

その後、関東大震災が起きて、流れが変わります。特に、被害が大きかった横浜からは、多くの外国人が帰国したり、神戸に移住したりしてしまい、西洋料理や洋食の中心は、横浜から神戸に移るんですね。

井川

被災したその横浜の復興のシンボルとして開業したのが、〈ホテルニューグランド〉(10)で、ここからはその後、ドリアやナポリタンなどの洋食メニューが生まれました。

〈ホテルニューグランド〉のサリー・ワイルと弟子たち
(10)〈ホテルニューグランド〉のサリー・ワイルと弟子たち。戦後、再来日時。

阿古

東京には、震災の翌年に、洋食が手軽に楽しめる〈須田町食堂〉(11)ができて、特に看板メニューのカレーが広まりました。とはいえ、一般庶民にとっては、まだまだ高嶺の花。

昭和の初めに東京・深川の〈名花堂(現・やきたてパン カトレア)〉でカレーパンが誕生するんですが、カレーを詰めたパンを、トンカツの形にして揚げることで、2つの洋食の雰囲気を少しでも味わってもらおうという思いから作ったそう。

食堂王と呼ばれた加藤清二郎が東京に創業した〈須田町食堂〉
(11)のちに“食堂王”と呼ばれた加藤清二郎が東京に創業した〈須田町食堂〉。

青木

日本人のこのアレンジ力は、島国ゆえの特性なんでしょうか。

井川

私は、中流に広がる以前に、花街が果たした役割も大きいと思っています。憧れの西洋料理を、旦那衆が芸者さんに振る舞いたいというので、花街の近くにも多くの店ができた。当時の〈資生堂アイスクリームパーラー〉(12)では、新橋芸者さんからのリクエストで、いろいろなサービスも生まれたそうです。

1930年代の〈資生堂アイスクリームパーラー〉の店内
(12)1930年代の〈資生堂アイスクリームパーラー〉の店内の様子。

阿古

その後、第二次世界大戦で洋食の進化は中断しますが、戦後は、米軍に占領されたこともあり、洋食がアメリカナイズされましたよね。〈ホテルニューグランド〉で生まれ、〈センターグリル〉(13)で今の形になったナポリタンもその一つ。高度経済成長期に入り、洋食は全国に広がって、完全に大衆化しました。

サリー・ワイルの下で働いていた〈センターグリル〉の初代
(13)サリー・ワイルの下で働いていた〈センターグリル〉の初代(右)。

戦後、ファミレスの登場で、普段着で楽しめる食事に

井川

洋食に縁が薄かった地方にも浸透したのは、百貨店の食堂(14)の存在が大きかったのでは?

1950年代の百貨店の食堂の様子
(14)家族連れなど多数の人々で賑わう、1950年代の百貨店の食堂。photo:共同通信社

阿古

それとファミリーレストランですね。大阪万博に〈ロイヤルホスト〉の前身である〈ロイヤル〉(15)が出店するんですが、それ以降ファミリーレストランが全国津々浦々にできて、そこから“よそ行きの服を着て洋食を食べに行く”、という風習がなくなったんです。

〈ロイヤルホスト〉の前身である〈ロイヤル〉外観
(15)福岡の〈ロイヤル〉は、大阪万博で、アメリカ館に出店し、大成功を収める。photo:ロイヤルホールディングス

青木

大阪万博で〈ロイヤル〉が出したハンバーグステーキは、大ヒットしたんですよね。

阿古

戦前からハンブルグステーキとして紹介されてはいたんですけれど、あまり浸透していなかった。昭和37(1962)年に〈マルシン〉がハンバーグを出した時、市場の人に、“さつま揚げか?”と言われたそうなので。ハンバーグは、まさに、ファミレスで広がった料理です。

井川

高度経済成長期にものすごい勢いで増えた喫茶店が果たした役割も大きいと思います。ナポリタンやミートソース、カレーといった洋食がメニューに並び、低価格で食べられるようになった。喫茶店の洋食は、粉チーズやタバスコが必ず付いてきて、アメリカ文化が混ざっているのが、面白いところですよね。

青木

大衆化していく過程で、長崎のトルコライスや北海道・根室のエスカロップなど、地方ならではの洋食も生まれています。当初は、地元民しか知らないローカルな料理でしたが、近年のご当地グルメブームで脚光を浴びるようになりました。

阿古

80年代後半からのグルメブームで、洋食は本格的な各国料理に押されてしまうんですが、世紀末あたりに昭和ブームが起こって、再びスポットライトが当たるようになる。まず、昭和の給食がブームになって、ナポリタンが見直され、オムライスが進化するんですね。

青木

イタリアンもフレンチも経験したけれど、改めて食べると、懐かしい味にほっとするというか……。

井川

昭和の店に惹かれる若い世代が増えていますが、新しい料理として捉えているのかもしれないですね。

青木

外国人にも好きな人が多くて、イギリスでは、日本のチキンカツカレーが大人気ですよ。

井川

ただ、洋食を目指す料理人の話をあまり耳にしないので……。需要はあるのに、将来が少し心配です。

阿古

〈スパゲッティーのパンチョ〉(16)をはじめ、ナポリタンの専門店が数年前から増え、今はハンバーグがそれに追随して、専門店が増えています。これからは一つのメニューに特化した専門店の形で、受け継がれていくのかなと思います。

〈スパゲッティーのパンチョ〉店内
(16)ギンガムチェックのテーブルがレトロな〈スパゲッティーのパンチョ〉。

黎明期に洋食店が栄えたエリアとその特徴

港町

函館、横浜、神戸、新潟、長崎。幕末に開港した5港の町には、貿易のために訪れたり、その地に居住したりしていた外国人向けの西洋料理を出す店がいち早く誕生。船から陸に揚がった料理人の店も多かった。

リゾート地

鉄道が開通して在留外国人が旅をするようになると、〈日光金谷ホテル〉、箱根〈富士屋ホテル〉、軽井沢〈亀屋(現・万平ホテル)〉など、外国人向けのホテルが誕生。西洋料理が栄える地域の一つとなった。

花街

東京、京都等、花街を擁するエリアには、旦那衆が、お座敷での和食に食べ飽きた芸者を連れていく洋食店が栄える。エビフライやカツレツなどを食べやすい一口サイズにして詰めた洋食弁当などが好まれた。

繁華街

東京の銀座、上野、浅草といった新しもの好きの日本人が集う街。ここには、ナイフ&フォークで楽しむ高級洋食店が流行る一方、味噌汁とご飯、お箸で食べる庶民的な店や屋台も誕生し、混在するエリアに。

洋食の歴史、大年表

16世紀:
ポルトガルやスペインの宣教師が、長崎に南蛮料理を伝える。のちのフライにつながる天ぷらが、これを機に誕生。

17〜19世紀(江戸時代):
飛鳥時代に天武天皇が発布した肉食禁止令に始まる肉食を避ける文化が表向きは続いていた。しかし、一部の貴族や大名、庶民たちは牛肉を愛好していたという記録もある。

1853年(嘉永6年):
ペリーが浦賀沖に来航、開国のきっかけとなる。その後、港町には外国人居留地が誕生し、外国人シェフによる西洋料理のレストランが相次いで開業する。

1863年(文久3年):
草野丈吉が初の日本人シェフによるレストラン〈良林亭(のちの自由亭)〉を長崎に開く。

1868年(明治元年):
神奈川・横浜にすき焼きの原型となる牛鍋屋〈太田なわのれん〉ができる。

1871年(明治4年):
明治天皇が肉食解禁令を出し、公に肉食が再開。翌年、東京・築地に東京で初めての西洋料理店を擁したホテル〈築地精養軒〉が開業し、宮内省御用達となる。日本語による西洋料理のレシピ本『西洋料理指南』『西洋料理通』が初めて出版。

1879年(明治12年):
北海道・函館に、日本人シェフによる初のロシア料理レストラン〈五島軒〉が開業。外国人が出向く保養地には西洋料理を出すホテルが続々誕生。

1881年(明治14年):
新潟で、イタリア人が日本初のイタリア料理店〈イタリア軒〉を開店。スパゲッティ・ミートソースが世に出る。

1895年(明治28年):
東京・銀座に〈煉瓦亭〉オープン。この頃から西洋料理が、日本人向けに洋食化し始める。

1897年(明治30年):
京都に〈東洋亭ホテル(のちのキャピタル東洋亭)〉がオープン。この頃、東京や京都の繁華街を中心に洋食店が相次いで誕生する。

1913年(大正2年):
中流層の主婦をターゲットに、料理雑誌『料理の友』が創刊。都心を中心に、主婦たちが家庭で洋食を作り始める。

1922年(大正11年):
東京・日本橋三越に、洋食専用の大食堂が登場。洋食が中流層に広がる契機に。同年、大阪には、手頃な価格で洋食を出す〈パンヤの食堂(現・北極星)〉が誕生。

1923年(大正12年):
関東大震災が起こり、東京や横浜の洋食店が大きな被害に遭う。特に震源地に近かった横浜は甚大で、多くの外国人や料理人が神戸などへ移住。

1924年(大正13年):
「簡易洋食」をうたった〈須田町食堂〉が、東京・神田にオープン。高級だった洋食を低価格で提供し、一時は都内に90店舗を構えるまでに。

1920年代半ば:
第1次洋食ブーム。カレー、トンカツ、コロッケが日本三大洋食と呼ばれるようになる。

1927年(昭和2年):
横浜の復興計画の一環として、〈ホテルニューグランド〉開業。のちの西洋料理界に大きな足跡を残したサリー・ワイルを総料理長に迎える。

1928年(昭和3年):
東京・銀座の薬局〈資生堂〉飲料部が、本格的な西洋料理も提供する〈資生堂アイスクリームパーラー〉を開業。花街・新橋の客たちで賑わう。

1937年(昭和12年)〜1945年(昭和20年):
日中戦争が勃発し、のちに第二次世界大戦へ。厳しい経済統制や空襲で、洋食の屋台なども大打撃を受ける。

1950年代半ば:
高度経済成長期に突入し、第2次洋食ブーム到来。接待を伴わない純喫茶と呼ばれる喫茶店が全国的に増え、ナポリタンやピザトーストなど、アメリカンな洋食がメニューに。

1957年(昭和32年):
『きょうの料理』がNHKでテレビ放送開始。和食とともにシチューやグラタンなどの洋食のレシピが紹介される。

1969年(昭和44年):
横浜に郊外型の、ステーキとハンバーグの専門店〈ハングリータイガー〉がオープン。客の目の前でハンバーグをカットし、ソースをかけて仕上げるスタイルが人気に。

1970年(昭和45年):
大阪万博に〈ロイヤルホスト〉の前身である〈ロイヤル〉が九州から出店。ハンバーグが1日2000皿超えの大売れ。同年、〈すかいらーく〉も東京に1号店をオープン。ファミリーレストランの登場で、洋食は完全に庶民のものに。

1980年代半ば:
バブル期に突入し、本格的なイタリア料理やフランス料理のレストランがもてはやされる。喫茶店もカフェバーに押され、洋食の存在感が薄くなる。

1990年代半ば~2000年代半ば:
戦後50年を機に、昭和レトロブームが到来。喫茶店が見直されるとともに、ナポリタンが復活の兆し。オムライスも新たにふわとろ系が人気を集め、専門店も登場。

2000年代後半〜2010年代:
人気洋食メニューの専門店化が進み、ナポリタン専門店〈スパゲッティーのパンチョ〉などがオープンする。

2020年代:
InstagramなどSNSの普及も背景に、純喫茶ブームが到来。若年層にも、喫茶店の洋食が好まれるようになる。