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いかにして、ロバート・グラスパーはジャズのヒーローになったのか

21世紀がまだ22年しか経ってないというのに、ブラックミュージック界ではすでに「21世紀最大の出来事」が2つも起きてしまっている。1つはノラ・ジョーンズの登場であり、1つは『Black Radio』だ。その後者を生み出した張本人が、ロバート・グラスパー。この頁の主役である。今やジャズピアニストの枠を超えて、ブラックミュージック界の大きな渦の中心的存在になった彼に音楽の原点であるジャズの話をしてもらった。

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photo: Katsumi Omori / text: Kaz Yuzawa / cooperation: Mitsutaka Nagira / special thanks: Blue Note Tokyo

レジェンドによる21世紀のJAZZ講座

1978年にアメリカ・ヒューストンで生まれたグラスパーは、ジャズシンガーだった母親の影響で、いつもリビングにジャズやR&Bが流れているような家庭で育った。教会でゴスペルを歌う母の伴奏でピアノを弾いたり、ジャズクラブで歌う母に伴われて楽屋でライブを聴いたり、アフリカン・アメリカンのミュージシャンとしては取り立てて珍しい経歴ではないけれど、幼い頃から自然に音楽と接してきた。

「意識的にジャズを弾きだしたのは、アーティストのための専門高校〈High School for the Performing and Visual Arts〉に通い始めてからだね。その学校は隣のクラスでビヨンセがボーカルのレッスンをしてるような学校だったんだ。最初はクラシックピアノのコースを受講しようと思ったんだけど、ものすごい数の楽譜を覚えなくちゃならないクラシックは、自分自身の音楽を表現したいという欲求があった自分には向いていないと感じて、ジャズのコースに進んだ。そしてクラスの友達とバンドを組んで、本格的にジャズを演奏するようになったんだ」

幼い頃から母の歌でスタンダードに親しんでいたグラスパーは、メロディはもちろんその歌詞もほとんど覚えていたという。

「当初演奏していたのは『Body & Soul』や『So What』といったスタンダードが中心だった。でも僕らがオリジナル曲を書いていることに気づいてくれた先生が、どんどん書けって推奨してくれて、よく友達と書き上がった曲を聴かせ合ったりしてたよ。懐しいな」

この専門高校でグラスパーは、その後の人生を左右するほどの出会いを経験することになる。

「あれは講演会か何かだったと思うけど、僕らの高校にロイ・ハーグローヴが来たことがあった。プロのジャズミュージシャンといえば、ブラックスーツでシックにキメているイメージだったけど、ロイはTシャツにGパンにスニーカーという、僕らとまったく同じファッションでやってきた。そして気さくに話しかけてくれて、もしニューヨークに来ることがあったら連絡するようにって、電話番号を手渡してくれたんだ」

当時のハーグローヴはジャズ界注目の若手トランペッターだったのに加え、ジャズの枠組みにとらわれずにディアンジェロやエリカ・バドゥ、コモンといったR&Bやヒップホップのアーティストたちとも積極的に共演する数少ない一人だった。

高校を卒業し、ニューヨークのニュースクール大学へ進学したグラスパーが、ハーグローヴに連絡を入れたことは想像に難くない。そして大学1年のとき、グラスパーはハーグローヴのバンド〈RHファクター〉のツアーメンバーに、レギュラーピアニストの代役として指名されたのである。その体験の中でグラスパーは、ハーグローヴからジャズの本質的な魅力、つまり自分らしく表現する自由と新しい表現に積極的にトライする姿勢を学んだと言えるだろう。

「僕は高校時代からストレート・アヘッドなジャズトリオを組んでクラブで演奏していたし、大学では同級生にR&Bシンガーのビラルがいて、彼のデビューアルバムを手伝ったりもしていた。ただ当時は自分の中で選択に迷うことがあったんだ。例えば自分のジャズトリオのツアー中にR&Bの仲間から声がかかったとする。そのとき僕は、迷いながらもR&Bの方を選んだ。というのも僕は、より多くの人に僕の音楽を聴いてほしかったからね。

でもそうすると、僕の選択を批判する声が周囲の人たちから聞こえてくるんだ。“お前は将来を嘱望されたジャズミュージシャンなんだから、R&Bやヒップホップなんてやめておけ”とか“何だ、ヒップホップに行っちゃったのか、裏切り者め”とか。それはかなり長い間、僕の中に葛藤として残ったけれど、それでも僕は自分がやりたい音楽を演奏する自由を手放す気にはならなかった。その大切さを僕に教えてくれたのがロイなんだ」

ロバートグラスパー演奏風景
ロバート・グラスパー・トリオ、ブルーノート東京8デイズ公演より。グラスパーはリリカルなピアノ演奏とともにテノール音域の美声も披露、満員の観客を喜ばせた。

『Black Radio』の成功がジャズの本質を蘇らせた

2004年に『Mood』でアルバムデビューを果たしたグラスパーは、翌年ブルーノート・レーベルと契約し、『Canvas』『In My Element』とジャズアルバムを発表していく。そんな中でも前者では盟友ビラルをゲストに迎え、後者ではJ・ディラとの共作曲を録音するなど、徐々にグラスパー色を出していった。09年発表の『Double-Booked』では、前半にジャズトリオの楽曲、後半にはエクスペリメント名義のネオソウル色の強い楽曲が収められている。時代を追って眺めてみると、グラスパーがきちんと計画性を持って自分の色を出してきているのがわかる。この頃から彼はすでに、優れたプロデュース能力も備えていたようだ。

そして12年。グラスパーはついに、全編エクスペリメント名義の『Black Radio』を発表する。このアルバムはグラミー賞最優秀R&Bアルバム賞を獲得したことでもわかる通り、グラスパー・ワールド全開。それはゲストシンガーのラインナップを見れば一目瞭然だ。エリカ・バドゥ、レイラ・ハサウェイ、ミュージック・ソウルチャイルド、そしてもちろんビラルも。いずれ劣らぬR&Bシンガーが顔を揃えている。

続いて翌年発表された続編『Black Radio 2』には、ノラ・ジョーンズまでもが参加、さらにバラエティ豊かなアルバムに仕上がっている。そして『Black Radio』10周年を迎えた昨年発表されたのが、『Black Radio III』だ。コロナ禍に加え、後を絶たないBlack Lives Matterで緊張感高まる社会状況下で制作されたこのアルバムのゲストは、コモンやレイラ・ハサウェイらに加え、アミール・スレイマンやキラー・マイクらメッセージ色の濃い構成になっている。しかし強烈なメッセージを発するだけではないのがグラスパーらしいところ。このアルバムには怒りのメッセージとともに、大きな愛と信頼も込められている。

「僕が現代のジャズに何か貢献できたことがあるとすれば、それは、かつてロイが僕にしてくれたように、そのときそのときの自分に正直な音楽を表現していいんだと、若いアーティストたちの背中を押したことだと思う。ジャズという音楽は本来、自分らしく表現する自由と新しい表現を恐れない勇気を持った音楽だったんだ。レジェンドと呼ばれる歴代のアーティストたちは、そうやってジャズを発展させてきた。だがある時期から、そうやって生まれたはずのスタイルがミュージシャンの自由な表現を妨げるようになってしまった。だから僕は、ジャズという音楽が自らの本質を思い出す手助けをしたんだ。最近の若いミュージシャンたちの自由な表現を聴いていると、僕のギフトが届いたようでとてもうれしいよ」

ちなみにグラスパーは『Black Radio』で成功を収めた後に、ジャズトリオでスタンダードの名曲などのカバーを中心に演奏したライブアルバム『Covered』をリリースして、こちらも好評を博している。
「『Black Radio』で僕の音楽を聴くようになった若者の中には、メインストリームのジャズを聴いたことがない子もたくさんいた。でもスタンダードナンバーや、レディオヘッドやジョニ・ミッチェルのヒット曲なら、“ああこの曲なら知ってる、ちょっと聴いてみよう”ってなることも多いんだよ。そんな子たちとジャズの橋渡しになればと思って、あのアルバムを作ったんだ」

かつてはジャズ界から批判されたこともあったグラスパーだが、結果としてジャズをより多くの人に聴いてもらうことにも貢献していることになる。彼の中にはジャンルという垣根はなく、あるとすれば演奏したい音楽としたくない音楽という程度の垣根なのかもしれない。そしてグラスパーは今も、優れたジャズピアニストでもあるのだ。

ロバート・グラスパー

ジャンルを超えたグラスパーの4枚

『Black Radio』(2012)
ブラックミュージック界の中心の渦がグラスパーなら、彼の音楽の渦の中心が『Black Radio』であることは間違いない。21世紀のブラックミュージック最重要アルバムになることもほぼ間違いないだろう。昨年10周年記念デラックス・エディションが発表された。

『Covered』(2015)
ジャズピアニストのロバート・グラスパーが久しぶりに帰ってきたアルバム。リリカルで美しい彼のピアノで名曲のカバーを楽しめるというのは、『Black Radio』とは違った意味でメチャ贅沢な逸品。ジャズファンとヒップホップファン両方を意識した選曲も見事。

『Our Point Of View』(2017)
グラスパーがブルーノート総帥ドン・ウォズと共同制作したレーベルコンピ。グラスパーやアンブローズ・アキンムシーレらレーベルの中核をなす6人によるBlue Note All−Starsに加え、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーターのWレジェンドもゲスト参加。

『Black Radio III』(2022)
本拠地をNYからLAに移したグラスパーのソロ名義でリリースされたBlack Radio第3弾。高校時代からの盟友テラス・マーティンはじめ、西海岸のアーティストが多くゲストとして参加している。メンツの豪華さは前2作に劣らず、組み合わせの妙もさすがの一言。