哲学研究者・永井玲衣。登る、食べる
登山口を出発して10分ほど。彼女の姿ははるか上方にあり、米粒ほどのサイズになった。「初登山なので、お手柔らかに」と言っていた永井玲衣さんだが、足場の悪い山道をずんずんと登っていく。
霧ヶ峰は標高1925mの車山(くるまやま)を最高点に広がる高原。八島湿原などの高層湿原は夏には高山植物の花々が咲き、秋には一帯が黄金色に染まる草紅葉に彩られる。北には標高1798mの鷲ヶ峰が聳(そび)え、歩き応えのある登山もできる。
永井さんは“哲学対話”という手法を用いて幅広い世代に哲学の楽しさを伝える気鋭の哲学研究者。山に興味を持ったのは、「普段と違う環境に身を置いたとき、どんな哲学的思考ができるのか」という思いから。登山中は一人先を歩き、草むらで寝そべって目を閉じたり。山歩きは思索するのに悪くない場所のようだ。
もう一つ楽しみにしていたのが、フレンチレストランで修業を積んだ主人が営む〈鷲が峰ひゅって〉での宿泊。夕食にフレンチのコース料理が出る山小屋は全国探してもここくらいだ。主人の田口信さんは高校山岳部出身の山男。若い頃はテント泊専門だったが、縁あって山小屋経営を引き継ぐことになり、自分なりの理想の山小屋を追求してきた。
「賑やかにお酒を飲む山小屋もいいですが、私にとって山は自分と対話しながら歩く思索の場。だから山小屋も静かにくつろげる空間にしたかった」という言葉通り、書棚には文学や哲学の本が並び、夜にはランプの火が揺れる。日が暮れ、食堂にシャンソンが流れるのを合図に、美しいコース料理が始まる。
ヴィンテージの〈ノリタケ〉のショープレートが迎えてくれる食卓。ワインセラーの中が気になりつつも、まずは南ドイツのヴァイスビールから。穏やかな塩味で豚肉の甘さが際立つ国産の生ハムは、田口さんのこだわりの一皿。ホタテのパイ、トマトのポタージュ、マダイのグリエと美しい料理が続くが、不思議と肩肘張ったところがない。
「コース料理を前にこんなに自然体でいられるなんて。緊張もなく、周囲の目も気にせず、自分の時間に浸って料理に向き合い、一皿ごとのおいしさを噛み締められる。食べることの素晴らしさを思い出させてもらいました」と永井さん。
「新鮮で良質な素材で作った料理と山や山小屋に流れる静かな時間。それらが一緒になって和らいだ雰囲気や気分が醸されるのだと思います」との田口さんの言葉に「やっぱり山小屋や山の中にいるという状況が、食べるという行為や感じ方に変化を及ぼすのでしょうね」と大きく頷く。
「山で雨や霧に出遭ったとき、子供のように、どうしようもなく心細くなる瞬間がありました。雨に打たれながらトボトボ歩くなんてことも大人になってからはそうしませんよね。“だから何?”と思われるかもしれませんが、私はその感覚を引きずって日常に戻りたい。山小屋での会話、食事の味も含めて、引き続き考え続けたい。私にとって登山は、リフレッシュのための体験ではなく、“考える”ことの入口でした」
山と山小屋で見た新しい世界と、湧き上がった感情や問い。そこからまた、永井さんの哲学が始まる。
SPOT DATA
MODEL PLAN
〈1日目〉
09:30 上諏訪駅着。
09:45 〈AMBIRD〉でコーヒー豆を購入。
10:00 〈太養パン〉で昼食用のパン購入。
11:00 タクシーで八島湿原駐車場に到着。
11:30 鷲ヶ峰へ登山スタート。
12:30 途中、パンとコーヒーでランチ。
14:30 下山後、八島湿原を散策。
15:30 〈鷲が峰ひゅって〉にチェックイン。
18:00 ディナー開始。
19:30 読書&入浴。
〈2日目〉
06:00 八島湿原で朝の散歩。
08:00 山小屋で朝食後、チェックアウト。
11:00 タクシーで〈菅野温泉〉へ。
12:00 〈ツルヤ上諏訪店〉でお土産購入。
13:30 〈イール亭おおいし〉でうな重ランチ。
15:00 上諏訪駅から帰路へ。
TRAVEL MAP
上諏訪駅から〈鷲が峰ひゅって〉近くの八島湿原バス停まではバスが出ているが、夏季以外は土日祝のみの運行。平日は駅からタクシーを利用するか(約30分)、レンタカーが便利。