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長井短「優しさ告げ口委員会」:口にする人

演劇モデル、長井短さんが日常で出会った優しい人について綴る連載エッセイ、第41回。前回の「日常の人々」も読む。

text & illustration: Mijika Nagai

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「口にする人」

1階に住んでいるお爺ちゃんは完全なる夜型で、真夜中によく煙草(たばこ)を吸っている。ぼんやりとマンションの前で、静かに吸っている。「こんばんは」くらいしか言葉はないけど、点けようとした火を一度待ってくれる素ぶりに癒される毎日だ。

お爺ちゃんはお洒落さんで、冬はカラフルなニットの帽子をかぶっていたり、最近は真っ白の釣りベストを着ていたり。ただ煙草を吸うだけなのに、きちんと外出着に着替えているところがかっこよく密かに憧れていた。

ある日、夜9時過ぎに飲みに出かけようと家を出ると、お爺ちゃんが煙草を吸っていた。いつも通り「こんばんは」と言って去ろうとすると、何か言いたげに私を見つめている。ん?言葉を待とうと立ち止まると、お爺ちゃんは身体の中からゆっくり言葉がせり上がってくるのをきちんと待って、一言。「いいねえ」

おじいさんのイラスト

視線は私が着ているオレンジのワンピースに向いている。「わぁ!」と声を上げると、もう一度お爺ちゃんの口が開く。たっぷり3秒の沈黙、後「いつも、いいと思ってるよ」。うんうん、自分の言葉を味わうように頷いて、微笑んでくれる。

お洒落なお爺ちゃんに褒められちゃった!嬉しくてこちらも言葉を返そうとすると、既にお爺ちゃんは歩き始めていた。切り替え早!だけどそのテンポがむしろ心地よくて、私は惚けた顔のままお爺ちゃんの背中を見つめる。

言いたいこと言ったぜって誇らしげな背中は心なしか大きい。あぁなんか、こうやって口にするのっていいな。知らん人だとしても「それいいねぇ」って言葉にできたら、世界ってもっとワクワクしそうで、今日の新宿は少し明るい。

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