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長井短「優しさ告げ口委員会」:爆裂笑顔な人

演劇モデル、長井短さんが日常で出会った優しい人について綴る連載エッセイ、第12回。前回の「ハンドメイドの人」も読む。

Text&Illustration: Mijika Nagai

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始発電車の人はまばらで、誰もいないかのような静けさだった。これから仕事に向かう私は、斜め向かいで死んだように眠る赤ら顔の男性を恨めしく見つめる。

この人はきっと、今が帰り道だ。楽しいお酒を沢山飲んで、あと1時間もすればフカフカのベッドにダイブするんだろう。クソ。私だってこのまままっすぐ家に帰って眠りたい。連日の早朝集合で睡眠負債はピークを迎えていた。

ほとんど私と同じ状況と思われる作業着姿の男性の貧乏ゆすりで座席がかすかに揺れている。普段なら気にならないはずのその小さな振動にすら腹が立って、私は耳にイヤホンを押し込み直し、音量を上げようとスマホを手に取る。

いや待て。ここ最近電車内での悲しい事件が続いた。爆音でゆるふわギャングを聞いていたんじゃ、車内の異変に気づくのが遅れてしまうかもしれない。深く刺さったイヤホンを片耳だけ外した時、重苦しい車内に不釣り合いな明るい声が響いた。

長井短_ブルータス_エッセイ_優しさ告げ口委員会

「おはようございます。本日も当電車をご利用いただきありがとうございます」。口角を上げていないと出ないタイプの声だった。顔の見えない、この電車の端に乗っている車掌さんはどうやら朝から超笑顔で働いているらしい。

マジか?朝5時ぞ?5時に笑顔になれることなんて、オールかディズニーランドに行くときだけだ。それ以外の5時はクソ。眠いし寒いし最悪の時間。それなのにこの車掌さんは今、狭い乗務員室の中で爆裂笑顔を展開させているのだ。

めちゃくちゃ楽しいことがあったのだろうか?今が最高の時なんだろうか?違う。私たちのためだ。重たい身体を引きずって、今日も社会の歯車にならんとする私たちのために、彼は笑顔でアナウンスをしている。同じ社会の歯車として。不機嫌でも仏頂面でも、私たち別に歯車くらい回せちゃうけど、でも彼は今笑顔なのだ。

「皆様、どうぞ気をつけていってらっしゃいませ」。ワクワクが止まらない声色で、彼のアナウンスは終了した。再び車内に静寂が戻るけれど、先ほどまでの重たさはもうそこにない。私は、今日も頑張ろうと思った。本当に、心の底から、頑張ろうと思えた。

ワクワクする予定なんてないけれど、でも、笑顔で働くあなたを思うと、今日は何かいいことが起こるような気がしないでもない。根拠のない期待に胸を膨らませながら働くのも悪くないのかもしれない。私の一日は変わる。昨日より明るい一日に変わる。胸がいっぱいな声色で、私たち今日も歯車を回そう。

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