失敗を飲む人
ずっと恐れていたことが遂に現実になったのは、数年前の夏、群を抜いた猛暑日だった。35度を超える気温の中で、私はぶ厚いセーターや重いフェイクファーコートを着て朝から街中を歩き回っていて、服の下はほとんど全部汗で濡れていた。
最後の服の撮影中、少し時間が空いてクーラーの効いた部屋に戻る。どんどん汗は引くけれど、どこか気持ち悪いままで、おかしいなと思った。大量に汗をかいているから、朝からずっとトイレには行っていない。嫌な予感がしてトイレに行く。予感は的中して、衣装は赤く汚れていた。
頭の中が真っ白になる。撮影中に気まぐれな生理が来ることは今までもあった。でも、こんなに汗をかいていなければ、もっと早く気づく。スタジオ撮影なら、もっと気軽にトイレにも行ける。色んな不運が重なって、私は遂に、衣装を汚してしまったのだ。
不幸中の幸いは、重ね着のおかげで汚れは外から見えないこと。でもどうしよう。スタイリストは男性だ。なんて言えばいいんだろう。とりあえず、アシスタントの女性をトイレに呼んで、事情を話した。彼女はすぐに薬局に走ってくれて、ナプキンをつけ撮影は進む。謝らなきゃ。私は手をギュッと握りしめながらスタイリストさんに近付いた。
「本当にごめんなさい」。精一杯の言葉だった。言いたいことは沢山ある。こんなのプロ失格だ。もっと言葉を尽くして謝りたいのに、動揺で言葉が出ない。「買い取らせてください。ごめんなさい」。そう繰り返すと、スタイリストさんは薄く笑ってこう言った。「何も悪くないよ」。びっくりした。何も悪くないわけない。完全に悪い。「なんっにも悪くない」。
そう繰り返す彼の瞳は温かくて、私をモデル以前に人間だって思ってくれていることがわかる。誰かが失敗した時、大抵は「気にしないで」とか「大丈夫」と言うだろう。「悪くない」は初めて聞いた言葉だった。
絶対悪いのに、悪くないって言ってくれるのは、どうしようもないことはあるってことへの理解だ。誰にでも、どうしようもないことはある。それは突然起きる。でも、それすら防ぐのがプロだと思うから、私はほとほと自分に失望していて、なのにその失望もただそこにあるものとして受け止めてくれた。
失敗には理由があって、それがどうしようもない理由なら、誰も悪くない。そんな風に世界を見つめるあなたのことを、私は大好きになって、私も、あなたみたいに誰かのどうしようもなさを理解できる人間になります。