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〈村上春樹ライブラリー〉を作った建築家・隈 研吾の思い

〈村上春樹ライブラリー〉の建築の設計を手掛けた隈研吾さんによる寄稿文。

Photo: Takeshi Abe / Text: Kengo Kuma

世界に孔をあける

文・隈 研吾(建築家)

早稲田大学のキャンパスの中に、ライブラリーをデザインしてほしいと頼まれた。「新築ではなくて、古い4号館の改築です。本当に申し訳ありません」と村上夫妻も、早稲田の大学関係者も、ものすごく申し訳なさそうだった。

しかし、実は僕だけ、ほっと胸をなでおろしていた。リノベーション、しかも古くて普通の建物の改築で、ほんとうによかった。ゼロからデザインしてくれなどといわれたら、何をどうしていいか見当もつかなかったのである。

僕が提案したのは、普通の建物に孔をあけることだった。春樹さんが小説で試みていることを、僕は建築という道具を使って試してみようと思ったのである。

春樹さんは、小説を通じて、普通の世界に孔をあけてくれる。なんでもない小さなドアを開けると、読者は突然に、別の世界に迷い込んでしまう。あるいは、路地の中の小さな落とし孔から、違う時間の中にはいり込んでしまう。そのドアや落とし孔の「なんでもない」感じを、小説という世界で作り出すのは、それほど難しくはないかもしれないが──とはいっても大変なテクニックが必要とされるのだろうが──建築で「なんでもない」感じを出すのは、とても難しい。ましてや新築の建築はどうしてもピカピカしてしまう。それを「なんでもない」ものとするのは、ほぼ不可能である。だから僕は、4号館が、古くて普通なことが嬉しかったのである。

その「なんでもない」4号館の真ん中に、僕は唐突に、洞窟のような孔をあけた。建物の真ん中の床スラブを大きく切り欠くことで、非日常的なスケールと断面形状を持つ、大きな孔をあけたのである。この洞窟の壁は、手が届かない高さまで全面が本棚になっていて、そこに数えきれないほどの本が並ぶ。

この村上ライブラリーを設計するずっと前から、僕はなんでもない世界に孔をあけたいと、ずっと考えていた。その意味で春樹さんと僕は、似たところがある。二人に共通する孔への指向性は、東京の青山という場所にも関係していると思う。僕はずっと30年間、青山にアトリエがあり、この場所を動きたいとは思わない。春樹さんも鳩森神社のそばにピーターキャットという名のジャズバーをオープンして以来、何十年間も、青山のまわりにいる。そして青山の神宮球場を本拠とするスワローズに対して、並々ならぬ愛情を注いでいる。

青山は丸の内のようなオフィス街でもないし、世田谷のような住宅地でもない。青山自体が東京という大都市の中での孔のような場所なのである。この青山という孔が、どの別世界、どの別時間に向かって開いているかは、実は僕にもよくわからない。神宮外苑というぐらいだから、明治神宮という神社や、その聖なる森に棲む神様に向かって開いているのかもしれない。あるいは青山墓地のあたりはたくさん縄文の遺跡が見つかっているから、縄文の時代とその時代の仲間たちとつながっているのかもしれない。逆にいえば、開いている先がわかっていたら、それは不思議な孔にはならないわけで、孔の先がわからないからこそ、僕らはこの青山という孔の近くをうろうろしているわけなのである。

そして実際に村上ライブラリーをデザインしながら、僕は春樹さんと僕の違いについても、考え始めた。4号館は「なんでもない」ところが有難いのだが、孔の入り口が、まったくわからないと、人々は建築にはいってきてくれない。逆に小説では入り口は、さりげなければさりげないほどいい。どっちにしろ読者は、文章を読み進んで、自動的に孔に入ってきてくれるのだから。

つまり、小説家は本さえ手にとってもらえれば、読者を100%コントロールできるし、建築家は「読者」を100%コントロールできない。自由意志を持って街をぶらぶらしている「読者」を、孔へと引き寄せるための、何らかの仕掛けが必要なのである。もちろんその仕掛けが、建物の「なんでもなさ」を壊してしまうようなえげつないものであってはいけない。あくまでもさりげなく、しかも知らず知らずのうちに孔へと吸い込まれるような仕掛け。そのような微妙なものを捜しながら、僕がたどりついたのは、細い木材でできた、透明なベールのような庇であった。それは4号館のコンクリートの重たいマスと比較した時、実体というよりは、非実体的で非物質的なものにも感じられる。その庇がさりげない入り口の存在を指し示しながら、ねじれ、ゆがみ、東側へ延び、地下階へのもうひとつの入り口の上部をも覆う。はかない庇が作る独特の3次曲面は、時空のねじれの表象のようにも見える。庇によって実体的世界と非実体的な二つの世界が、パラレルにそこに出現するのである。

春樹さんの読者は読み進めながら通時的にパラレルワールドを体験するが、僕の読者は共時的にパラレルワールドを体験する。そんなことに頭をめぐらせながら、このパラレルなライブラリーを楽しんで欲しい。

ライブラリーの設計の際に描いたスケッチ。