都会的な絶望を観て“自分もまだまだ”と思えるから
最初は20代の半ば頃、ブレッソン特集をしていたパリの映画館で観ました。字幕もなく台詞はほぼわからなかったんですけど、社会に対して漠然と絶望している主人公たちには共感できたんです。切羽詰まっていた当時の自分と重なるところがあったんですよね。
でも今年字幕付きで観直したら、主人公への共感というよりは、説明的でない画角とか洋服からわかる時代観に関心が移っていて、ちょっとショックでした。一歩引いた視点から観ていて、「ああ、今の自分は彼らみたいに切羽詰まってないな」って(笑)。
あと観直してみると、彼らの絶望がすごく都会的ということにも気がつきました。たばこやお酒を普通に楽しんで、服装もフレアボトムにピタッとしたTシャツを合わせていて、絶望はしてるけど、自分をどう見せたいかまでは気を使えている。今はそういう“人間の業”が描かれているところにより惹かれるのかもしれないですね。
去年、撮りためた男性のポートレートを写真集にまとめたんですけど、今年『たぶん悪魔が』を観返したら、後ろ姿や手足だけを写して状況を想像させる画角はそっくりで。意識したつもりはなかったんですが、創作面でも影響を受けている作品だなと改めて実感しました。