エフェクトを体感しながら、ストーリーの余白を自分の中で埋めていきたいから
今年、初期のタル・ベーラの日本劇場未公開作品『ダムネーション/天罰』『ファミリー・ネスト』『アウトサイダー』の上映があった時は、シアター・イメージフォーラムに毎日通って、それぞれ3回ずつ観ました。すべてのエフェクトを映画館という非日常で体感したくて。
この作品は、共同脚本のクラスナホルカイ・ラースローはじめ、撮影監督、音楽家も、『サタンタンゴ』につながる最高のスタッフが集まっている。キャストはほとんど素人なんだけど、ほかの作品も観たいと思わせる魅力がある。衣装もいいし、モノクロの勉強にもなります。
私にとって、映画はスタッフィング、キャスティング、エフェクトを体験するものだと思っていて、ストーリーはどうでもいいんです。主人公の男が既婚の歌手の女に惚れて、夫が気に食わないというだけの単純な話だけど、始まりからずっと嫌な雨の音がしていて、窓越しにケーブルカーが向かってくるのが見えて、何が起きるか全くわからない。
これ、永遠に続くのかなって思わせる、スローなシーンを前にすると、人は分析し始めるんですよ、この男は何者だ?どうやって撮ったんだ?と。
よく読めば、最後にはハンガリーという社会で生きている人の姿から政治性も見えてくるんだけど。ベーラの作品には物語性がないからこそ、延々と自分の中でストーリーを想像できるし、私は70年間の人生の中から観るんです。観る人によってそれぞれが意味を見出せる。それこそが、映画であるって思うんですよね。