最初に観た時の、驚き、興奮、感動。
その頃の自分を呼び覚ましたいから
若い時、レオス・カラックスの“アレックス三部作”に影響を受けて、特に『汚れた血』と『ポンヌフの恋人』はどちらも5、6回は観返しています。あれからもっといい映画をたくさん観ているはずなのに、なぜかそこに定期的に戻っちゃう自分がいて。たぶん、初めて観た時の感動も含めたいろんな感情、新鮮な気持ちを思い出したくて、何度も観てしまうんだと思います。
初めて観たのは、今は閉館してしまった渋谷のシネマライズで、確か10代の終わりか20歳の頃だったかな。それまであまりヨーロッパ映画を観たことがなかったので、「こんな映画があるんだ!」と驚きの体験でした。それをきっかけに、ゴダールやカラックスが影響を受けたような過去作品を漁るようになり、仕事の合間にシネ・ヴィヴァン六本木に特集上映を観に行ったりもしました。
当時はいわゆるハリウッドの話題作や王道な作品を、現実味のない夢みたいに思ってしまっていたので、『汚れた血』の若者たちの疾走感やヒリヒリした感じが、どこか自分にフィットしたんですよね。エンターテインメントで仕事をしていて、いつも笑顔でいなくちゃみたいなことへの反発もあったかもしれません。
カラックスの映画って、 ストーリーは至ってシンプルなんだけど、すごくドキュメンタリーっぽくて、本当のように思える。『ポンヌフの恋人』の冒頭でホームレスが収容されるシーンなんかは、世界の知らない社会がちゃんと映っていると思ったし、その暗さもちょっと心地よくて。
監督の恋人だったジュリエット・ビノシュは歯まで抜いてるし、ドニ・ラヴァンの生き急ぎっぷりもすごいし、2人の役者魂にも圧倒されました。例えば、一つのシーンがあっても、その前後をちゃんと感じさせるような芝居をしたいと常に思っているので、俳優として、そういう気持ちを強化したい時にも観ているかも。
今の自分とフィットするという意味では、今泉力哉さんの作品も観返したくなりますね。映画『愛がなんだ』とか『あの頃。』とか。行間に、喜怒哀楽の感情が細分化されて詰まっていて、「こんなの口では説明できないじゃん!」という感情を、言葉じゃない映像ですくっているというか。
すごく見落としがちな、他人にとってはどうでもいいような繊細な感情を見せてくれるんですよね。だからか、人間ってこんなものだよなとか、一生懸命じゃなくても、片隅にいてもいいんだと感じさせる。
今回、映画『窓辺にて』で主演させてもらって思ったのは、今泉さんも僕もギラギラしてないんですよ(笑)。僕が演じた市川という役と通じるというか、あまり怒ったり、泣いたり、感情を見せない方で。でも、それって世間の人とは違うのかな?自分って愛がないのかな?と不安になったりもするじゃないですか。
でも、人はそれぞれ複雑な感情を持つものだから。今泉さんの作品って、そういう自分の感情や相手の感情と出会った時に観ると、フィットするんじゃないですかね。