山を愛し、遊び、学ぶ。田淵行男記念館は博物学の宝庫です

かつて「博物学」とは動植物や鉱物など、自然界にある様々なものを対象に研究し、学ぶ学問だった。その世界に触れてみたいなら、山の近くにあるミュージアムに行ってみるといい。山は博物学の実践の地。奥深い自然の世界への入口なのだ。

現在、山の魅力を伝える特設サイト「Mt. BRUTUS」もオープン中!

photo: Kasane Nogawa / text: Yuriko Kobayashi

人類で初めてエヴェレストに挑戦した登山家ジョージ・マロリーは、「なぜエヴェレストに登りたかったのか?」という問いに、「そこに山があるからだ」と答えた。なぜ山に登るのか。登山をする者なら一度は聞かれる質問だが、その答えは百人百様であっていい。そう思うようになったのは田淵行男記念館を訪れてからだ。

長野県安曇野。のどかな田園の中に清らかな水をたたえるワサビ田が点在し、空に目をやると、北アルプスの連なりの中に、ひときわ凜々しい山容の常念岳がある。田淵行男はその山を愛し、遊び、学び、自由に表現した人だった。その肩書を、一言で紹介するのは難しい。

日本を代表する山岳写真家であり、高山に生息する蝶(高山蝶)をはじめとした昆虫生態研究家。さらには採集した蝶を観察し、鱗毛一本一本まで細密に描く細密画家の一面や、自身の作品集を緻密に構成・レイアウトする編集者的な顔もあった。田淵行男記念館は幅広い分野にわたる氏の仕事の全容を知り、自然に向けられた眼差しに触れられる場所だ。

美意識を持って集めた
山にまつわる宝物たち

館内に入ってまず目に留まるのが、田淵が愛用していた山岳用の黄色いテント。田淵自身が設計したもので、側面には「コ」の字を背中合わせに4つ積んだようなマークが描かれている。これは「行男」の「行」の字を篆書体にし、田淵がデザインしたロゴで、ピッケルやザックなど、ほかの多くの登山用具にも記されている。

「田淵は几帳面で真面目、自分の美意識を徹底的に追求した人物だったそうですから」とは学芸員の伊藤広美さん。「あとは収集癖というのでしょうか、昆虫のほかにも、鳥が落としていった羽根など、山で色々なものを集めることにも夢中になっていたようです」

案内してくれたのは常設展示してある石。それぞれに小さな山の写真が並べてあり、比べて見ると形がそっくり。登った先の山で、その山容に似た石を探して持ち帰るのを趣味にしていたとか。「展示しているのは一部で、ほかにもたくさんあるんです。中には槍ヶ岳の形にそっくりな、11kgを超す大きなものもあって……」と苦笑い。

ほかにも雪解けの限られた期間、山に現れる「雪形」(山肌の残雪や、そこから覗く岩肌などの造形を、人物や動物などの形に譬え、名づけたもの)を各地の山で観察し、スケッチした記録や、登頂記念スタンプを集めた手帳など、様々なコレクションが残る。「山」というフィールドで、ここまで幅広い趣味を持てることに驚きつつ、視線を少し変えるだけで山の楽しみ方が全方位に広がっていくことを知る。

博物学の教師から写真家へ
見たことのない山岳写真

田淵がこれほどまでに山のあれこれに興味を持ったのは、その経歴と無関係ではない。1905年に鳥取県の自然豊かな村に生まれた田淵は、幼少期から昆虫採集に熱中し、その頃から「写蝶」と呼んで、蝶の細密画を描いていた。高等師範学校では博物学を学び、教師に。生徒を山野へ連れ出し、自然や昆虫の魅力を伝えた。博物学とは自然の雑学を系統立てる学問である。田淵が生涯かけて残した数々の研究やコレクションは、まさに「山の博物学」そのものだ。

1943年には日本映画社に入社し、昆虫や自然に関する教育用のスライド制作の仕事に就くが、太平洋戦争の戦況悪化を受け、1945年7月に家族で現在の安曇野に移り住む。教員時代、生徒の集団登山でガイドを依頼していた知人を頼ってのことだった。

「終戦後、多くの人は以前の場所に戻ったそうですが、田淵は生涯安曇野に暮らし続けました。知人が多かったこともありますが、何より常念岳山麓ということが大きかったのでしょう。常念岳やその山麓は蝶の宝庫。田淵は移住後に山麓でヒメギフチョウの生息を知り、山中では稀少な高山蝶・タカネヒカゲの幼虫を発見します。幼少時代から蝶に惹かれ続けてきた田淵にとって、安曇野は天国のような場所だったのでしょう」

もう一つ、来館者の多くが釘づけになってしまう展示がある。山で撮影したモノクロ写真と、自ら切り出して作った文字や模様(登頂記念のスタンプまで切り絵で制作!)を切り貼りし、コラージュした手製の「山のアルバム」だ。教師時代に生徒たちと登った地元の山や、一人で登った北アルプス、南アルプス、谷川岳。毎回違ったタイポグラフィを作っては切り出し、一つ一つピンセットで貼ったというから驚く。

ひそかな楽しみとして作っていた山のアルバムだが、これがのちに大きな転機をもたらす。終戦後、安曇野に暮らしながらフリーランスとして理科教材のスライド制作などを行っていた田淵の元に、思いがけない知らせが届く。同僚に貸していた山のアルバムが雑誌『アサヒカメラ』の編集長の目に留まり、同誌に写真が掲載されることに。1950年、45歳にしての写真家デビューだった。翌年には同誌の臨時増刊号として『田淵行男山岳寫眞傑作集』が刊行され、注目を浴びることとなった。

ダイナミックな構図でありながら繊細な山の表情を捉えた田淵の写真は、当時の写真界に衝撃を与え、「山岳写真」という分野に初めて芸術性をもたらしたと言われている。最大の特徴であり、最も強くこだわったのが、モノクロ写真における「黒い構図」だ。

田淵行男《暮れゆく常念》
「黒い構図」がよく表れた《暮れゆく常念》1973年10月。

「例えば代表作の一つである《暮れゆく常念》では、白く浮かび上がる常念岳の手前の山肌に、対向の山の稜線が黒くくっきりと映って、強いコントラストが生まれています。この黒調を出すために田淵はレンズに濃い赤や橙色のフィルターをかませています。黒い部分にも濃淡があって、そこに豊かな山の表情が表れている。常念岳には200回以上登っていますが、山を知り尽くし、緻密な計算を重ねて撮影するのが、田淵のスタイルで、唯一無二のものです」

黒い世界の中に一筋のスポットライトが差したかのような田淵の作品。雄大な山の風景はもちろん、足元のけなげな命にもその光は届けられた。険しい岩場に咲く高山植物を写した作品では、岩と岩の間に生まれる影が漆黒の空間として表現され、そこに小さな星のように花々が浮かび上がる。実際、険しい岩稜が続く高山を歩いているとき、足元にふと可憐な花を見つけると、じつにいじらしく、胸打たれる瞬間がある。田淵の眼差しには写真家であると同時に、いち登山者としての山や自然に対する親密さが満ちている。

自然界に“平凡”はない
山のミュージアムの教え

ひと通り展示を見た後、「天気が良いので、外のベンチでお話ししませんか?」と伊藤さんが誘ってくれた。もともとワサビ田だったという敷地には、小さなせせらぎがあり、まるで水の中に立っているよう。水辺にはスイカズラ、コデマリなど蝶の食草が植えられ、満開を迎えたワスレナグサの蜜を求めて数羽の蝶が飛び交っている。渡りをする蝶として知られるアサギマダラが立ち寄ることもあるそうで、蝶の観察をしに記念館を訪れる人も少なくない。

「この記念館は田淵が存命の頃から建設計画が立ち上がったのですが、本人は蝶の飼育施設を造って、その様子を子供たちに見せたいと熱望していました。残念ながらそれは叶いませんでしたが、蝶や様々な昆虫を探す自然観察や、生態を紹介する昆虫講座を開催するなど、子供や生き物を愛する方々が集う場所になっています。その様子を見て、田淵もきっと喜んでいるのではないでしょうか」

伊藤さんが見せてくれた来館者の感想ノートには、子供たちが描いた虫の絵がたくさんあった。隣には蝶の細密画のファンだという70代女性の言葉。これから常念岳へ写真撮影に入るという30代男性の走り書きや、「旅行ついでに立ち寄ったが、いつか常念岳に必ず登ります!」というメッセージも。

決して広くない館内に、少しずつちりばめられた田淵の山に対する眼差し。ぼんやり流し見していると雑多なものの集まりに見えてしまうかもしれないが、その中に一つ、胸打たれるものを見つけ、それを大切に持ち帰っていく。それは田淵が生涯を通して山で行ってきたことと通ずるような気がする。

山岳写真家・田淵行男の登山道具
田淵行男の登山道具。ザックに記されたマークは自分で作ったオリジナルロゴ。スイス製のピッケルなど、随所にこだわりが見える。

かつて田淵は著書にこんな言葉を書き残している。「平凡といえるものが自然界に在るとすれば、それは多分に、自分自身の中の、見抜く力が足りないせいからではあるまいか」(『黄色いテント』山と溪谷社)。自然の中には無限の興味深いものがあり、突き詰めるほどに面白くなっていく。

何に心を奪われるかは、自分次第。ただ風景を見たり、写真を撮ったり、文章を書くのもいい。昆虫を探したり、鳥が落としていった羽根を観察したり、ただ歩くだけでも、途中で昼寝をしたっていい。山に登る目的も理由も、一つである必要はないし、毎回違ったって構わない。この小さなミュージアムが教えてくれるのは、そんなおおらかで、どこまでも自由な山の楽しみ方、自然との関わり方だ。

「ここは山小屋風の建物ですが、梅雨が明けると、大きなザックを背負った人たちがたくさんいらして、本当に山小屋のような雰囲気になることもあるんですよ」と笑う伊藤さん。記念館の前にあるバス停から乗れば、常念岳と尾根続きにある燕岳の登山口まで行けますと教えてくれた。この夏は田淵に倣って常念岳で“そっくり”の岩を探してみようか。いつもよりゆっくりと、足元を見ながら歩いてみるのも楽しいかもしれない。

山のミュージアムは、まるで学校だ。日本のあちこちの山の麓にあって、姿は見えなくても、そこにはいつも、そばにある山を愛し、知り尽くした先生がいる。そして、「自然をしっかり見なさい。そうすればもっと山は楽しくなる」と送り出してくれる。「なぜ山に登るのか」。そのヒントが欲しくなったら、いつでも門を叩けばいい。そこからきっと、新しい山の世界が始まっていくはずだから。