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長井短×ヒラギノ游ゴ。長井初の小説集から“言語化の功罪”について語り合う

俳優やモデルとして活躍する長井短が、今年2月に初の小説集『私は元気がありません』を上梓した。言葉の限りを尽くして人間関係を再考していく珠玉の3編を収録。この物語を前に、文筆家のヒラギノ游ゴと言葉を交わす。

photo: Natsumi Kakuto / text: Kohei Hara

「やっぱり違ったわ」と訂正し続けられる関係に向けて

ヒラギノ游ゴ

実はここのところ読書イップスに陥っていたんですけど、久しぶりに夢中になって最後まで読むことができる小説でした。3編ともに、とても心当たりのあることが描かれていたんですよね。

長井短

うれしいです。

ヒラギノ

小説集全体を通して感じたのは「言語化の功罪」みたいなことで。最近SNSで、「思っていたことを言語化してくれた」みたいな言葉をよく見るなと思っているんです。映画やドラマの感想とか、自分が書いた記事に対してもそういった感想をもらうことがあるんですけど、違和感があって。

他人が書いた言葉を正解にして、自分が本当に感じたことを熟成させる作業を丸投げしてしまうのは、あなたにとってマイナスなことなのでは?って思うんですよね。自分の感情を蔑ろにしている感じがするし、一度言語化された場所からさらに深く潜るのはものすごく難しい。同時に、文筆を仕事にすることは、読者の考える作業を奪う可能性もあるんだと肝に銘じています。

長井

私も、小説を書く作業では、エッセイを書いているときよりもそのことをよく考えました。エッセイの方が「これは今の私の気持ちです」ってアナウンスしやすいんですけど、小説は著者が迷いの中にいながら書いたってことを感じずに読む人もきっとたくさんいるだろうから。もし傷つけてしまったら怖いなって。

長井短とヒラギノ遊ゴ
話し手:長井 短、聞き手:ヒラギノ游ゴ

すぐ謝れる人でいたい

ヒラギノ

「言語化」という点では特に表題作が印象的でした。同棲している雪と吾郎は、お互いに言語化をたくさんしているカップルなんですよね。しかも、ちゃんとターンを回しながら相手の言葉を遮らずに聞くことができる貴重な関係性で。でも雪は、「心のすごい表面の方で、オートで会話してる感じがする」と吾郎に指摘されるように、少しよそ行きの言葉を話すこともあって。

譬(たと)えるならば、吾郎はずっと“錠剤じゃなくて粉で渡してほしい”って雪に伝えてると思うんです。苦くても喉に張りついても大丈夫だから、いったん吐き出してみてよって。でも、むき出しのまま話ができるかどうかって、自分の状態にもよるし、相手がその信頼に足る人間かどうかっていう問題もある。

長井

私自身も自分の本心をすごくうまく隠してるから、友達とかパートナーと話していてもなかなか本当の感情が出てこないんですよ。自分でも自分の本心がわからないみたいなことってすごくよくあって。だからこそ、自信がなくても一回言葉にしてみて、「やっぱり違ったわ」って言えるのが理想なんですよね。「ごめん、昨日言ったあれ、やっぱ違った~」って。そのくらいのパス回しをしたい。

ヒラギノ

素敵ですね。ネットだと“一貫性警察”みたいな人が監視してますけど、一貫してる方がやばい部分は大いにありますからね。考え方は変わっていくものだから。

長井

本当に屁理屈な人間なので、自分が過去に書いた文章を読み返したときに、すんなり読み返せてる私の方がやばいなって思うんですよね。めっちゃ(思考が)止まってんじゃん!って。

ヒラギノ

確かに、その経験は私もあります(笑)。こういう恋人同士の話し合いみたいにリアルタイムで起こっている出来事に対しては、最適解じゃないとわかっていてもひとまず言語化してみないと進まないことがある。そこで何も言わずに諦めるよりは、覚悟を持ってアウトプットすることが大事だと、この作品を読んでいてすごく思って。

そのときの気持ちをいったん提示して、後々訂正できる関係性を増やしていくのが、みんなが健康に生きていくために必要なのかなと思います。

長井

そうそう。そういう軽やかさというか、違うと思ったらすぐ謝れる人でいたいなって思います……(笑)。